第149回
一条真也
『MISSING 失われているもの』村上龍著(新潮社)
 本当に久しぶりに著者の小説を手に取りましたが、読み終えたとき、本書の直前に読んだ村上春樹氏の新作エッセイである『猫を棄てる』を連想しました。
 ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として、春樹氏と著者は共に時代を代表する作家と目され、「W村上」などと呼ばれてきました。本書は、著者名を知らされずに「これは村上春樹の新作ですよ」と言われても信じてしまうほど、春樹っぽい作品です。よく「春樹は内を向き、龍は外を向く」などと言われますが、この作品は徹底的に人間の内面に向かっています。
 そして、著者の内面は「母」の記憶と分かちがたく繋がっています。小説なので、すべてが著者自身の人生と合致するわけではないでしょうが、母親が佐世保で教師をしていたことなど、「限りなく自伝に近いノベル」といったところでしょうか。
 くだんの『猫を棄てる』は春樹氏が自分の父親について語ったエッセイですが、本書は著者が自分の母親についてこれ以上ないほど深く語っています。両者に共通しているのは、父や母について語ることで、自分自身について語っていることです。いずれも「自分探し」を超えた「自分の根っこ探し」でした。
 著者は幼い頃、旧朝鮮のほぼ南端、馬山の近くの小さな村に家族とともに住んでいました。日本が戦争に負けた日、朝鮮人たちが著者の家に押し寄せ、家族が皆殺しになりそうでしたが、朝鮮人の長老が「ここはいい、ここは襲ってはいけない」と言って、暴徒を押さえました。「ここはいい」というのはどういう意味かというと、著者の両親は雇っている朝鮮人たちに優しかったようです。
 敗戦後、著者の一家は軍艦で日本に引き揚げたそうです。艦内では食料は支給されませんでした。残り少ない米を甲板で炊いて食べた時には、「両親は、底抜けのお人好しで、米はほとんど残っていなかったのに、食料がなくて飢えていた人たちに握り飯を作って配ったりした。自分たちが飢えるかも知れないのにバカじゃないのかと、わたしは両親に文句を言ったが、それは間違いだときつく言われた」と書かれています。
 著者の母親はいつも「困っている人を助けると、いつか自分も助けられる」と言っていたそうです。そして、実際、著者の一家は艦内にいた人から助けられたのです。
 それにしても、自分の親の思い出がこのような高い倫理観に基づく「心ゆたかな言葉」とともに在るとは、なんと幸せなことか。
 どんな財産を遺すよりも、人生を良き方向に導く「心ゆたかな言葉」をわが子に遺すことこそ、親の最大の役目ではないでしょうか。