2006
02
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「わたしは、なぜ歌を詠むのか?

 詩とは志を語るものである!」

 昨年のはじめから、私が「庸軒」と名乗って、短歌を詠んでいることはよくご存じだと思います。総合朝礼や社長訓示の際はもちろん、各種の全国責任者会議、竣工記念神事、入社式から創立記念式典に新年祝賀式典まで、とにかくありとあらゆる機会に歌を詠み、みなさんに披露します。
 庸軒は、私の雅号です。江戸時代、福島県の三春に佐久間庸軒という方がいたことを佐久間室長が教えてくれました。なんでも和算の大家として知られ、佐久間派という一派をなしたほどの偉人だそうです。私の名前と一字違いであることに不思議な因縁を感じ、また和算の偉人のご利益でわが社の数字的内容が良くなる願いも込めて、号としました。
 詩歌といっても、なにぶん商売人の身であり、なかなか花鳥風月を詠んで風雅の世界に遊ぶというわけにはいかず、また現場で頑張っておられるみなさんの苦労を思うと、そんな心境にもなれず、もっぱら会社や仕事に関する話題で詩作をしております。
 最近、私が詠んだ俳句がちょっとした話題となりました。有名なほととぎすの句というのがあります。
 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という日本を代表する三大英雄の異なる性格を詠んだもので、次の通りです。
 「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
 「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」
 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
 もちろん本人たちの作ではありません。出典は江戸時代の名随筆で知られる松浦静山の『甲子夜話』とされますが、激情の信長、策略の秀吉、忍耐の家康というように三人の特徴を実によくとらえていて、感心します。
 最近になって「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の著作をまとめて読む機会を得ましたが、その中で松下の、  「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」
 という句に触れ、静かな感動をおぼえました。自然の流れの中で、素直な心で、ありのままに生きるという人生哲学がにじみ出ていて、深い味わいがあります。そして、私なら何と詠むか。当社のミッションおよび業務内容を考え合わせた結果、次の一句が浮かびました。
 「鳴かぬなら われが鳴こうか ほととぎす」
 当社は、製造業ではありません。ホスピタリティ・サービス業です。そこでは何よりも思いやりの「ホスピタリティ・マインド」や「サービス精神」が必要とされます。常に気をつかって、お客様に喜んでいただかなくてはなりません。自分から動いて世界に関わっていけば、もしかしたら世界が変わるかもしれない。そんな願いを込めたのです。  その後、いろんな場でこの句を披露していましたら、松下幸之助の創立したPHPから出版された『仕事の指針・心の座標軸』という本で紹介していただきました。
 しかし、俳句といえばこの一句ぐらいで、私が日々詠むのは、やはり短歌です。新興のハウスウェディング施設と激戦を繰り広げる松柏園ホテルの朝礼では、『松柏』が『論語』に由来する不易の常緑樹であると説明し、
 「ハウスなど 流行り廃れの根無し草
          松と柏は 常に青々」
 紫雲閣の会議に際しては、「紫雲」が人の臨終の際に迎えに来るという仏が乗る紫色の雲であることを説明し、司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』にかけて、
 「坂のぼる上に仰ぐは白い雲
          旅の終わりは紫の雲」
 各種責任者会議においても、その業務の本質と価値を歌に詠み込むように心がけてきました。例えば、営業責任者会議では、当社の商品とは礼そのもの、すなわち「人の道」であることを説明し、
 「サンレーの 売る品物は
    人の道 広くすすめる 人助けなり」
 経理責任者会議では、人間にとって命の次に大切とされるお金を預かって、企業の生命を守ってくれるので、
 「経理とは 命の次に大切な
        ものを預かり 命を守る」
 人事責任者会議では、人の長所を認めて、短所は他山の石とする意味で、
 「人事とは 人の良き面 引き出して 
      人の振り見て 我が振り直せ」
 竣工の神事でも詠む。冠婚なら、ローマ式結婚式場ヴィラ・ルーチェのオープンに際し、
 「真実の 口に手を入れ誓い合う若い二人の
                  羅馬的浪漫」
 昨秋に金沢の粟崎紫雲閣がオープンしたときは、
 「秋深し よき人住める粟崎
          仏土に送る 紫の雲」
 何百人もの社員が集う新年祝賀式典や創立記念式典などでは、サンレーという社名の由来とミッションなどを次のように詠みました。
 「陽の光 むすびの心 そして礼
       三つの力 秘めしサンレー」
 冠婚葬祭業という仕事の歌は、四月、金沢の満開の桜の下で詠みました。
 「花は咲き やがて散りぬる 人もまた
      婚と葬にて 咲いて散りぬる」
 その後、新入社員を迎える入社式では、
 「日の本の よき人々の魂を
         結んで送れ 若き桜よ」
 といった具合です。そして、何より私自身にとっても感慨が深かったのは、創立39年記念式典で詠んだ歌でした。全互連西日本ブロックの合同募集キャンペーンで、当社の二人のトップスターが見事、一位・二位を独占して、「サンレー強し」を業界にアピールしてくれました。一位が行橋営業所の森シゲ子さんで、娘さんを亡くされた直後の悲しみを押しての素晴らしい成績でした。  そのポイント数は西日本はおろか、間違いなく全国一を誇るものでした。その偉業を讃え、
 「つらくとも 己を信じ 前に行く
       ああ 行橋の 森は繁れり」
 そして二位が、田川営業所の清澄智恵子さんでしたので、
 「炭鉱の街を 泳いで 智恵しぼる
       田川の水は 清く澄めれり」
 といった歌を贈ったところ、お二人は涙を流して喜ばれ、「これからも会社のために頑張ります」と力強く言っていただきました。そのとき、私は猛烈に感動し、「ああ、歌を詠み続けてきて、本当に良かったなあ!」と心の底から思ったのです。
 私が歌を詠みはじめた頃、最初は警戒まではしないにしろ、「また、社長が変なことをはじめたぞ」ぐらいにしか思っていなかった社員のみなさんも、最近では「新作はまだですか?」とか「サラリーマン川柳ならぬプレジデント短歌ですね!」などと言ってくれ、楽しみにしていてくれるようです。
 長々と社長訓示をするよりも、五七五七七の短い言葉の中に私のメッセージを凝縮して入れ込んであるので、みなさんがそれを楽しんでくれることは大変ありがたいのです。なぜなら、経営者の最たる仕事とは、経営理念や経営方針などのメッセージをわかりやすく社員のみなさんに伝えることだからです。
 かつて、和歌や連歌は戦国武将たちの教養として欠くべからざるものであったそうです。加藤清正などは、武士があまりに和歌・連歌に熱中してしまうと、本業である「武」の方がおろそかになってしまうことを警戒していたぐらいでした。
 北条早雲などは、「歌道を心得ていれば、常の出言に慎みがある」と述べています。和歌は五七五七七の31文字、連歌は五七五の上の句と、七七の下の句の連続で、いずれにしても、きわめて短い言葉で自分の思いを表現しなければなりません。早雲は、そうした鍛錬が、日常、何気ない言葉にもあらわれると見ていたのです。
 歌心のあるなしで、その人の品格のあるなしがわかり、また、情のあるなしもそこに反映されるという考え方は昔からありました。徳川家康は何人かの家臣たちと雑談していて、話が源義経のことにおよんだとき、「源義経は生まれつきの大将ではあるが、歌学のなかったことが大きな失敗だった」と言い出したそうです。家臣たちは、「義経に歌道がなかったというのは聞いておりません」と家康に言うと、家康は、「義経は、"雲はみなはらひ果たる秋風を松に残して月を見るかな"という古歌の心を知らなかった。そのために身を滅ぼした。平家を少しは残すべきだったのだ」と答えたというのです。
 また、連歌の場合はもう一つの意味があり、「出陣連歌」といって、合戦の前に連歌会を開き、詠んだ歌を神社に奉納し、戦勝祈願をするためにも必要でした。「連歌を奉納して出陣すれば、その戦いに勝つことができる」という信仰があったのです。
 連歌ではありませんが、昨年、大分県で宇佐紫雲閣をオープンしたとき、私は、
 「宇佐の地の よき人々の旅立ちに
          魂を送らん 紫雲閣より」
という歌を詠み、由緒ある宇佐神宮に奉納しました。
 私に感化されてかどうかは知りませんが、当社でも歌を詠む社員がだんだん増えてきたようですので、いつの日か社員のみなさんと一緒に車座になって連歌会を開くのが、私の夢です。
 もちろん、そこでは当社の「志」を詠みたいと思います。『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』の「あとがき」にも書きましたが、「志」と「詩」と、さらに「死」は本来分かちがたく結びついていました。古来、中国でも日本でも詩歌とは志を語るものとされました。志なく、ヴィジョンなく、夢さえも持たぬ者に、詩想は宿りません。吉田松陰、久坂玄端、高杉晋作、そして坂本龍馬といった幕末の志士たちは、その目で「明治」という新時代を見ずに、この世を去って行きました。だが彼らには、青雲の志があり、新社会建設の夢がり、将来へのヴィジョンがありました。そして、彼らは驚くほど多くの歌を残しています。
 病身の晋作は幕府軍の象徴であった小倉城をついに陥落させた後で下関に戻り、一首詠もうと筆を取ったが何も浮かばず、「志を果たせば、すなわち詩というものは不要になるものか」とつぶやいたそうです。
 また、日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、死と詩を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死、つまり形而下の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと言えます。
 そして、死と志も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知ります。有名な龍馬の言葉「世に生を得るは事を成すにあり」こそは、死と志の不可分の関係を解き明かしたものに他なりません。
 私は、短歌にしろ俳句にしろ、日本人が再び死に際して辞世の詩歌を詠む文化を得ることを望んでいます。客観的に自分の人生を振り返って詩作をすることは、死の不安から解放され、心ゆたかに生きることだからです。 最近、話題となった大作映画「男たちの大和」を観ましたが、そこでは「散る桜 残る桜も 散る桜」という句が、死にゆく男たちの心の支えとなっていて感動しました。
 そして私は、冠婚葬祭を通じて「世界平和」と「人類平等」を願うサンレーの大いなる志を太陽と月にかけて詠みたいです。
 「万人に 等しく 光降り注ぐ
       天に太陽 地にはサンレー」
 「天仰ぎあの世とぞ思ふ 望月は
     すべての人がかえる ふるさと」
 どちらの歌にも「天」が登場しますが、これからも常に天というものを意識しつつ、社長として当社の志をさまざまな歌にし、社員のみなさんに伝えていきたいと思います。

 天高く 手を伸ばせども 届かねば
          歌に託さん わが志    庸軒