2006
05
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「思いやりこそ人類共通の宝

 ホスピタリティが世界を動かす」

 これまで当社は、典型的な労働集約型産業とされていた冠婚葬祭業を知識集約型産業へと転換してきました。今後は、さらに精神集約型産業をめざして進化してゆきたいと思います。精神集約型産業とは、「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といったポジティブな心の働きがつまった産業ということです。
 これから数回にわたって、精神集約型産業を成すキーワードについて考えてみたいと思います。まずは、「思いやり」からです。
 現代は高度情報社会です。世界最高の経営学者ピーター・ドラッカーは、早くから社会の「情報化」を唱え、後のIT革命を予言していました。ITとは、インフォメーション・テクノロジーの略です。言うまでもなく、ITで重要なのは、I(情報)であって、T(技術)ではありません。
 その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは、過去のものにすぎません。ドラッカーは、IT革命の本当の主役はまだ現れていないと言いました。本当の主役、本当の情報とは何でしょうか。
 情報の「情」とは、読んで字のごとく心の働きに他なりません。「報」とは相手にしらせること。つまり本来の情報とは、心の働きを報せることなのです。私が常々言っているように、次なる社会とは、心の社会です。それは、よく誤解されるようにポスト情報社会 ではありません。ましてや、アンチ情報社会などではまったくありません。心の社会とは、新しい情報社会、かつ真の情報社会なのです。
 そして、情報の「情」、心の働きを代表するものこそ、「思いやり」であると私は思います。「思いやり」こそは、人間として生きるうえで一番大切なものだと多くの人々が語っています。たとえばダライ・ラマ14世は、人を思いやることが自分の幸せにつながっているのだと強調したうえで次のように言いました。
 「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます。思いやりがあればこそ良心も生まれます。良心があれば、他の人を助けたいという気持ちで行動できます。他のすべての人に優しさを示し、愛情を示し、誠実さを示し、真実と正義を示すことで、私たちは確実に自分の幸せを築いていけるのです」
 あのマザー・テレサも次のように語っています。
 「私にとって、神と思いやりはひとつであり、同じものです。思いやりは分け与える喜びです。それはお互いに対する愛から小さなことをすることなのです。ただ微笑むこと、水の入ったバケツを運ぶこと、ちょっとした優しさを示すこと。そういったことが思いやりとなる小さなことです。思いやりとは人々の苦しみを分かち合い理解しようとすることで、それは人々が苦しんでいるときにとてもいいことなのだと思います。私にとっては、まさにイエスのキスのようなものです。そして思いやりを与えた人が自分の思いを分け与えながらイエスに近づくというしるしでもあります」
 ここで注目すべきなのは、ダライ・ラマはブッダの教えを、マザー・テレサはイエスの教えを信仰する者であるということです。異なる宗教に属する二人が、「思いやり」という言葉を使って、まったく同じことを語っています。キリスト教の「愛」、仏教の「慈悲」、また儒教の「仁」、ギリシャ哲学の「アガペ」まで含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「思いやり」の一語に集約されるでしょう。
 そして、その「思いやり」を形にしたものが「礼」や「ホスピタリティ」です。ふたつとも、佐久間会長が永年にわたって説き続けてきた言葉であり、当社のキーワードになっています。最近でこそ流行語になっていますが、佐久間会長は40年近く前から日常的に使い、当社の経営理念にも取り入れていました。
 佐久間会長が生まれた昭和10年に日本にYMCAホテル学校が誕生し、「ホスピタリティ」という言葉も入ってきたようです。大学を卒業してからYMCAホテル学校に通った佐久間会長は、その語になじみました。そして、後に社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の初代会長としてアメリカのフューネラル大会において講演した際に、「冠婚葬祭業はホスピタリティ産業である」と述べたそうです。初めて、「冠婚葬祭」と「ホスピタリティ」が結びついた記念すべき瞬間でした。一般には、ホテル業やレストラン業などをホスピタリティ産業と呼んでいました。佐久間会長が、日本における「ホスピタリティ」の概念を拡大したわけです。
 また佐久間会長は、社団法人・北九州市観光協会の会長時代、「百万にこにこホスピタリティ運動」をスタートさせ、観光ボランティアなど、市民参加のさまざまな企画を実施し、ホスピタリティが北九州市の大きな魅力として定着するよう、運動を通して全市的にアピールしました。現在は、社団法人・日本観光旅館連盟(日観連)の会長として、日本中のホテルや旅館を飛び回りながら、日々、ホスピタリティの重要性を説き続けています。
 もともと小笠原流礼法を通じて、「礼」の心を追求し、実践礼道・小笠原流の会長も務める佐久間会長は、『思いやりの作法』というタイトルの著書もあるように、「礼」とは結局のところ「思いやり」を形にしたものだと主張しています。それは、ホスピタリティについても、まったく同じことが言えます。
 洋の東西の違いはあれど、「礼」も「ホスピタリティ」もともに、「思いやり」という人間の心の働きで最も価値のあるものを形にすることに他ならないのです。茶道において「礼」は、「しつらい」「もてなし」「ふるまい」として形に表れますが、人との出逢いを一生に一度のものと思って最善を尽くしながら茶を点てる「一期一会」の精神も含め、まさにジャパニーズ・ホスピタリティとでもいうべき世界をつくっていると言えます。21世紀を予言したダニエル・ベルは、脱・工業社会とは「人間が人間を相手に働く社会」だと言いましたが、ホスピタリティは21世紀における最重要テーマなのです。
 さて、ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は実に古いことがわかります。人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始的な村落共同体をつくっていく過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する「異人歓待」という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、ホスピタリティはまったくその反対です。
 異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つ上で非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的な性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。
 いずれにせよ、ホスピタリティを実現する異人歓待の風習は、時代や場所や社会体制のいかんを問わず、あらゆる社会において広く普及していきました。さらに、外部の異人と一緒に飲食したり宿泊したりすることで異文化にふれ、また情報を得る機会が生まれ、ホスピタリティ文化を育ててきたのだと言えるでしょう。集団意識や家族意識という強い絆を持つ原始社会においては、ホスピタリティを媒介とした人間関係こそが社会をつくる基本原理だったのです。
 ホスピタリティとよく間違えられるのが、サービスです。ホスピタリティの理解にあたって、両者の本質が異なるということをまず理解する必要があります。サービスというのは商品と同様に販売すべきものであって、一般に「商品」には製品とともにサービスも含まれます。「財貨」という経済学用語では、商品とサービスをあえて区分していません。もし区分するとすれば、商品が有形でサービスが無形であるというだけです。
 「サービス」serviceの語源は、ラテン語のservus(奴隷)という言葉から生まれ、英語のslave(奴隷)、servant(召し使い)、servitude(苦役)などに発展しています。サービスにおいては、顧客が主人であって、サービスの提供者は従者というわけです。ここでは上下関係がはっきりしており、従者は主人に屈服し、主人のみが充足感を得ることになります。サービスの提供者は下男のように扱われるため、ほとんど満足を得ることはありません。サービスにおいては、奉仕する者と奉仕される者が常に上下関係、つまり「タテの関係」のなかに存在するのです。
 これに対して、「ホスピタリティ」hospitalityの語源は、ラテン語のhospes(客人の保護者)に由来します。本来の意味は、巡礼者や旅人を寺院に泊めて手厚くもてなすという意味なのです。ここから派生して、長い年月をかけて英語のhospital(病院)、hospice(ホスピス)、hotel(ホテル)、host(ホスト)、hostess(ホステス)などが次々に生まれていきました。
 こういった言葉からもわかるように、それらの施設や人を提供する側は、利用者に喜びを与え、それらを自分の喜びとしています。両者の立場は常に平等であり、その関係は「ヨコの関係」です。ゲストとホストは、ともに相互信頼、共存共栄、あるいは共生のなかに存在しているのです。その意味で真の奉仕とは、サービスではなく、ホスピタリティのなかから生まれてくるものだと言えるでしょう。ここでいう奉仕とは、自分自身を大切にし、そのうえで他人のことも大切にしてあげたくなるといったものです。自分が愛や幸福感にあふれていたら、自然にそれを他人にも注ぎかけたくなります。「情けは人のためならず」と日本でも言いますが、他人のためになることが自分のためにもなっているというのは、世界最大の公然の秘密の一つです。
 アメリカの思想家エマーソンによれば、「心から他人を助けようとすれば、自分自身を助けることにもなっているというのは、この人生における見事な補償作用である」というわけです。与えるのが嬉しくて他人を助ける人にとって、その真の報酬とは喜びに他なりません。他人に何かを与えて、自分が損をしたような気がする人は、まず自分自身に愛を与えていない人でしょう。常に自分に与えて、なおあり余るものを他人に与える。そして無条件に自分に与えていれば、いつだってそれはあり余るものなのです。
 真の奉仕とは、助ける人、助けられる人が一つになるものです。どちらも対等です。相手に助けさせてあげることで、自分も助けています。相手を助けることで、自分自身を助けることになっています。まさにこれは、与えること、受けることの最も理想的な円環構造と言えるでしょう。その輪のなかで、どちらが与え、どちらが受け取っているのかわからなくなります。それはもう、一つの流れなのです。
 「真に幸せになれる人というのは、人に奉仕することを追求し、どうやって人に奉仕するかを見つけた人だ」これはアルベルト・シュヴァイツアーの言葉ですが、彼は非常に重要なことを言っています。自分の人生にとって、人に奉仕するということがどれだけ価値のあることであるかを語っているのです。
 もちろん今後のビジネスにおいても最重要テーマですが、ホスピタリティは決してビジネスだけの問題ではありません。企業のみならず、病院、学校、自治体、NPOを含んで、あらゆる組織はホスピタリティ志向型組織へと変身していくことが求められます。 ホスピタリティ・マインドを文化としてその体内に取り入れた組織しか21世紀には生き残れないのです。  そもそも、この世の中のあらゆる人々がホスピタリティ・マインド、つまり「思いやり」の心を持っていれば、戦争など起こらないはずです。
 「ホスピタリティ」こそは、人類が21世紀において平和で幸福な社会をつくるための最大のキーワードであると言えるでしょう。
 世界を変えるのは「憎しみ」ではなく、「思いやり」です。
 ホスピタリティが世界を動かすのです。

    思いやり形にすれば礼となり
     横文字ならばホスピタリティ 庸軒