2006
12
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「助け合いは、人類の本能だ!

 互助会から互助社会をつくろう!」

 当社は冠婚葬祭互助会です。互助会の「互助」とは、「相互扶助」の略だということはご存知だと思います。「人」という字は互いが支えあってできている。それこそが「相互扶助」ということですが、では、それが人類の本能であるということを知っていましたか。
 「汝自身を知れ」とは古代ギリシャのデルフォイの神殿に刻まれた言葉ですが、40億年という地球の生物の歴史の中で、人類ははじめて自らを知ろうと挑戦した生物です。この2500年もの間、宗教や哲学や科学などの営みによって、人間は自分自身について知ろうとしてきました。ソクラテスの時代から現在に至るまで、自分自身を知るための「方法」や「手段」はさまざまなものが開発されてきました。しかし、140年前にチャールズ・ダーウインが発見した進化論ほど、この点でパワフルなものはないとされています。進化論こそが本当にデルフォイの神話を実現できるところまで、私たちを導いてくれるのです。
 ダーウィンは1859年に『種の起源』を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。これはダーウィンの選択だったと言われています。宗教界をはじめ、いらぬ反発を最初から呼び覚ますこともあるまい、という慎重な判断です。そして、進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。
 この本でダーウィンは、道徳感情の芽ばえが動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下ではお互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。
 このダーウィンの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』です。ダーウィンの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」を批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。
 この本は、トーマス・ハクスレーの随筆に刺激を受けて書かれたそうです。ハクスレーは、自然は利己的な生物同士の非情な闘争の舞台であると論じていました。この理論は、マルサス、ホッブス、マキアヴェリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャのソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくみます。その考え方とは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解です。それに対して、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想の流れに沿う主張を展開しました。つまり、人間は高潔で博愛の精神を持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられるという考え方です。平たく言えば、ハクスレーは「性悪説」、クロポトキンは「性善説」ということになります。
 さて、『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てきます。博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素としてつとに重要なものであることを認めていました。1827年のことですが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねました。そして、エッカーマンが飼っていた二羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣の中でそのヒナと一緒に養われていたという話をしました。
 ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の「神の愛はいたるところに行き渡っている」という汎神論(はんしんろん)的思想がそれによって確証されたものと思いました。「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行なわれていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」とゲーテは言いました。
 さらに翌日もそのことを熱心に語りながら、必ず「無尽蔵の宝庫が得られる」と言って、動物学者だったエッカーマンに熱心にこの問題についての研究をすすめたといいます。
 クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。
 クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べています。生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。以上のように、クロポトキンは考えたのです。
 クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。
 「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。
 相互扶助のメカニズムを解明するには、現代の進化生物学や、「人の心の歴史」をさぐる進化心理学の見方に照らし合わせてみるとわかりやすいでしょう。人類は、数百万年前から共同体を形成して、その中で暮らすという環境で進化してきました。アリやハチなど、社会をつくる生物は珍しくありません。しかし、社会生活からこれほどの利益を得ている動物は、脊椎(せきつい)動物の中でも人間の他にはそう多くありません。
 オックスフォード大学で動物学を専攻し、英国「エコノミスト」誌の科学記者であるマット・リドレーは、著書『徳の起源 他人を思いやる遺伝子』において、「人間は、人嫌いであるくせに、人と交わらずには生きてゆけない」と述べています。現実的なレベルにおいても、人類が完全に独立独歩で生きてきた、つまり、仲間と生きるための技術を交換し合うことなくたった一人で生きていたと言えるのは、おそらく100万年以上前のことでしょう。人間の仲間に対する依存度は、他の類人猿やサルよりもはるかに大きいのです。 
 リドレーは言います。クロポトキンは、相互扶助が人間という種にとって大きな役割を果たしていると強調した点においては、まったく正しかった。だが、人類を他の動物から区別し、生態系の中で優位な存在にしている理由の一つは、私たちが非常に高度な社会的本能を数多く持っているからなのだ。このようにリドレーは主張しました。
 古代ギリシャのアリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いましたが、近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。
 そして、20世紀の日本において、「相互扶助」のコンセプトは冠婚葬祭互助会として形になりました。終戦直後に横須賀で生まれ、全国に広まっていった互助会の歴史は60年に及びます。しかし、実はきわめて日本的な風俗・習慣に根ざした「結(ゆい)」や「講(こう)」にルーツはさかのぼります。
 「結」は、奈良時代からみられる共同労働のことです。特に農村に多くみられ、地域によっては今日でもその形態を保っているところがあります。この共同労働は労働の相互提供であり、田植えや収穫時期、あるいは屋根のふきかえなどを通して、労働力が対等に交換されることを原則としています。また、この相互の労働力交換の根底には、労働に対する「賃借」の観念があり、そのことが今日に至って結婚式や葬儀といった互助会の「役務提供」に姿を変えて反映したと言えます。
 一方、「講」は、「無尽講」や「頼母子講(たのもしこう)」のように経済的「講」集団を構成し、それらの人々が相寄って少しずつ「金子(きんす)」や「穀物」を出しあい、これを講中の困窮者に融通しあうことをその源流としています。いわゆる互助的無利息融通組合であり、この「講」の歴史は鎌倉時代までさかのぼることができます。特にこの経済的「頼母子講」の特色は、親と呼ばれる発起人と数人ないし数十人の仲間で組織がつくられ、一定の給付すべき金品を予定し、定期的にそれぞれ引き受ける口数に応じてくじ引きや入札の方法で、順次金品の給付を受ける仕組みとなっています。このシステムは関西にはじまり、江戸時代に関東へと広まり、庶民の金融機関として全国に普及しました。
 実は現在、寺院や美術館で見られる運慶や快慶を頂点とする鎌倉美術や鎌倉建築のほとんどが、「講」の遺産なのです。また、鎌倉後期に仏教の戒律を復興し、真言律宗を組織した叡尊(えいそん)や忍性(にんしょう)は、「講」を募って、ハンセン氏病患者の救済や貧民救済の事業を起こしました。日本の福祉事業のルーツもほとんどこのような「講」からはじまったのです。この二人の活動は日本のボランティア活動の最初の頂点を築くものとして、また、介護問題が重視されている今日的な課題の発端を築いたものとして、今とりわけ高く評価されています。
 このような「結」と「講」の二つの特徴を合体させ、近代の事業として確立させたのが冠婚葬祭互助会の経営システムなのです。日本的伝統と風習文化を継承し、「結」と「講」の相互扶助システムが人生の二大セレモニーである結婚式と葬儀に導入され、互助会を飛躍的に発展させる要因となりました。
 そして、21世紀における「相互扶助」について考えた場合、やはり非営利組織つまりNPOの存在を忘れることはできません。日本においては多くの問題点を残してはいますが、ボランティアをはじめ、NPOが果たす役割は非常に重要です。
 ピーター・ドラッカーも、誰もが自由に選べるコミュ二ティが必要となる中で、NPOだけが、教会から健康クラブにいたるまで多様なコミュニティを提供できると主張しました。しかもNPOだけが、現代的問題である「市民性の回復」を実現しうる唯一の機関なのです。NPOこそは、21世紀型組織であると言えるでしょう。
 サンレーグループでは、各地の互助会の他に、日本儀礼文化協会やハートウェル21などのNPOを運営しています。特に、ハートウェル21が手がける「むすびの会」は人が老いるほど豊かになる老福社会、ハートフル・ソサエティにつながる新世紀のコミュ二ティづくりをめざしています。
 互助会から互助社会へ。「相互扶助」という人類普遍のコンセプトを形にし、「人間尊重」の思想を実現することが、サンレーのミッションなのです。

 人はみな 心のままに 助けあい
   共に支える 善きものと知る  庸軒