2007
03
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「すべてのセレモニーは卒業式である

 冠婚葬祭業は、さようなら産業だ!」

●すべての通過儀礼は卒業式
 3月は卒業式のシーズンです。
 私は思うのですが、すべての通過儀礼の本質とは卒業式ではないでしょうか。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
 そして、結婚式というのも、やはり卒業式だと思います。
 結婚披露宴で一番感動を呼び、参列者のあいだに共感を生むもの、それは花嫁による両親への感謝の手紙です。そこには、今まで育ててくれた両親への感謝の言葉とともに、家族から巣立ってゆくことの寂しさ、そして夫となる人とともに新しい家族を築いていくことへの希望と決意が述べられています。
 なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、家庭という学校から卒業してゆく娘を愛(いと)しく思うからに他なりません。

●葬儀は人生の卒業式
 そして、葬儀は人生の卒業式です。このことを、私は以前から何度も強調してきました。
 約十万年前のネアンデルタール人の墓から出土した化石を手がかりにして、考古学者はネアンデルタール人が死者を花の上に寝かせて埋葬していたことをつきとめました。このことから、ネアンデルタール人が「死」を祝い事とみなしていた、つまり、人間が死ぬということは次の世界に移り住むことだと考えていたことがわかったのです。
 葬儀とは、人生の卒業式であると同時に、魂の引越し祝いなのです。日本人は人が亡くなると「不幸があった」などと言いますが、死なない人間はいません。
 必ず訪れる「死」が不幸であるなら、どんな素晴らしい生き方をしようが、あらゆる人の人生そのものも不幸でしかないことになります。これでは必ず負け役を演じると決められた八百長のようなもので、そんな馬鹿な話はありません!

●人生とは学校である
 人生の正体が「学び」の場所、すなわち学校のようなものであることは、これまでにも多くの人々によって言われてきました。
 学校とは、学びの場です。私たちは、学ぶために、わざわざ生まれてきたのです。最近流行のスピリチュアルな考え方では、人生とは、自分で自分に与えた問題集であるとされています。そこでは、人間関係のトラブル、貧困、病気、障害、そして死などの、さまざまな「思い通りにならないこと」つまり、さまざまな「試練」を組み合わせて自ら問題集を作成する。そして、それを解くことこそが人生の目的とされています。いわば、自分で目標管理シートを書くようなものですね。
 その「人生という問題集」の中で、人間として最も大切なことは何でしょうか。それは、魂を成長させることです。さまざまな試練を通じ、学びを積んで魂を成長させるために、人間はこの宇宙の中に存在しているのです。
 私たちは、なぜ生まれてくるのか。それは、生まれてこなければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれてくるのです。その機会、つまり「貧」や「病」や「争」などの「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的であり意味であると言えるでしょう。

●人生の卒業証書をもらう
 私たちが学ぶのは、魂の成長のためであると言いました。魂の成長といってもさまざまなステージがあり、それによって難易度が異なります。はっきり言って、何の不自由もない平穏無事な生涯を送ることは小学校レベルの問題集です。
 一方、「見えない、聞こえない、話せない」の三重苦で知られるヘレン・ケラーや、両手・両足を失った中村久子のような方の人生とは、大学院レベルの最も難しい問題集です。そのような難しい問題集を途中で投げ出して学校から逃げ出さなかった。つまり、自殺などせずに、見事に解いて、堂々と「この世」という学校を卒業していった。まさに、重い障害を抱えながらも人生を生ききった方々は、人類を代表して卒業証書を授与される資格のある偉人だと、私は心から思います。

●「さよなら」は、明るく笑いながら
 卒業式でもっとも多く使われる言葉、それはやっぱり「さようなら」ではないでしょうか。結婚式や葬儀をはじめ、冠婚葬祭業は「別れ」をドラマティックに表現する、さようなら産業なのです。そして、そこから魂を揺り動かす感動が生まれます。
 さようなら産業などと言うと、なんだか淋しく悲観的な感じがしますが、この「さようなら」は卒業式における「さようなら」であることを忘れてはなりません。すなわち、「さようなら」の後には、「おめでとう」と「ありがとう」の言葉が待っているのです。
 「さよなら三角、また来て四角」で始まる数え歌がありますが、あんな軽やかな感じで別れの挨拶をするのも良いかもしれません。あの数え歌は日本全国で歌われていましたが、さまざまなバージョンがあるようです。
 私が子どもの頃は、「さよなら三角、また来て四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギははねる、はねるはカエル、カエルは青い、青いはバナナ、バナナはすべる、すべるは氷、氷は光る、光るは親父(おやじ)のハゲ頭」と歌っていたように記憶しています。  私たちも、明るく笑って、「この世」という学校を卒業したいものですね。

 さようなら 辛いときには笑顔みせ
     さよなら三角 また来て四角  庸軒