2011
09
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「長生きを意味ある寿に

 隣人祭りで『おくりびと』を増やそう!」

世界一の高齢化国

 9月になりました。9月といえば、19日が「敬老の日」ですね。日本は、平均寿命、高齢者数、高齢化のスピードという三点において、世界一の高齢化国とされています。
 また平成22年国勢調査によれば、65歳以上の一人暮らしは458万人となっており、この10年間で五割も増加しています。そして、孤独死も増加していることがよく知られています。
 高齢になれば孤独になるのは当然と見られがちですが、看取る人もいなくて放置される人が増えることは明らかに問題であり、国や自治体にはしっかりとした対策が求められます。長生きは不幸だと高齢者に思わせては、少子高齢化の日本に未来はありません。
 わたしたちは、これまで「隣人祭り」開催サポートに尽力してきました。もともとフランスで隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題がありました。

寿齢隣人祭りの提案

 隣人祭りにわが社が関わっていることは広く知られてきましたが、わたしの大学のゼミの恩師である孫田良平先生も、拙著『隣人の時代』(三五館)を読まれて、隣人祭りに関心を持たれたようです。
 そして、孫田先生は「寿齢隣人祭り」というアイデアを新聞紙上で提案されています。「寿齢」とは、初めて接する言葉です。辞典にはない言葉ですが、古稀・米寿・傘寿など祝い歳の総称のようです。
 隣人祭りの主唱者は下からの盛り上がりで町内会・農協・商工会・同窓会連合・氏神講など自由に勝手に、日取りは差し当たっては国民の祭日である9月第三月曜日の「敬老の日」に行う。ただし法律では、「敬老の日」を「老人を敬い長寿を祝う日」と古風に定義しており、高齢者自らの主体性・自立性・自尊心を励ます意味が入っていません。
 同じ日本国の祝日であっても、「子供の人格を重んじ、幸福をはかる」子供の日、「成人になった青年男女を祝い励ます」成人の日に比べると、高齢者は受身の扱いにすぎません。孫田先生は、主客を逆にした法改正が望ましいとされています。

孤独死から孤独葬へ

 さらに孫田先生は次のように述べています。
「寿齢隣人祭りの企ては、特に高齢者・壮年層に新しい『人の縁』をつくり出して、孤独死放置の悲劇を減らすことである。東日本大震災は職も地位も財産も一瞬に失わせても、そのはかなさを救うのは『人間お互い新規の縁結び』と教えてくれた。長生きを、意味ある寿と見直す機会にしたい」
 わたしは恩師の言葉に感銘を受けました。
 孤独死をされた方は、そのまま孤独葬となる場合が多いとされています。孤独葬とは、参列者がゼロの葬儀で、気の毒でなりません。亡くなられた方には家族もいたでしょうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は一人で旅立たなければならないのかと思うと、あまりにも辛いのです。
 もちろん死ぬとき、だれだって一人で死んでゆきます。でも、だれにも見送られずに一人で旅立つのは、あまりにも寂しいではありませんか。故人のことをだれも記憶しなかったとしたら、その人は最初からこの世に存在しなかったのと同じではないでしょうか。

「おくりびと」とは誰か

 アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が話題になりました。人はだれでも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。一人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。
 「ヒト」は生物です。「人間」は社会的存在です。「ヒト」は、他者から送られて、そして他者から記憶されて、初めて「人間」になるのではないかと、わたしは思います。
 人間はみな平等です。そして、死は最大の平等です。その人がこの世に存在したということをだれかが憶えておいてあげなくてはなりません。親族がいなくて血縁が絶えた人ならば、地縁のある地域の隣人が憶えておいてあげればいいと思います。
 参列者のいない孤独葬では、ぜひ紫雲閣のスタッフは故人のことを憶えてあげて下さい。でも、本当は同じ土地や町内で暮らして生前のあった近所の方々が故人を思い出してあげるのがよいと思います。

「となりびと」は「おくりびと」

 「俳聖」と呼ばれた松尾芭蕉に「秋深き隣は何をする人ぞ」という有名な句がありますが、この句には深い意味があります。
 芭蕉は、51歳のときにこの句を詠みました。1694年(元禄7年)9月29日のことでしたが、この日の夜は芭蕉最後の俳句会が芝柏亭で開かれることになっていました。しかし、芭蕉は体調が悪いため句会に参加できないと考え、この俳句を書いて送ったそうです。結局は芭蕉が起きて詠んだ生涯最後の俳句となりました。
 この句には「隣」という字が出てきますが、「隣」の字の左にある「こざとへん」は人々の住む「村」を表します。右には「米」「夕」「井」の文字があり、「米」は食べ物を、「夕」は人の骨を、「井」は水を中心とした生活の場を表しています。
 すなわち、「隣」という字は、同じ村に住む人々が衣食住によって生活を営み、その営みを終えた後は仲間たちによって弔われ、死者となるという意味なのです。そこから、「死者を弔うのは隣人の務めである」といったようなメッセージが読み取れます。「おくりびと」とは「となりびと」のことだったのです!そのことに芭蕉も気づいていました。
 ぜひ、わたしたちは寿齢隣人祭りを普及させて、長生きを意味ある寿とし、一人でも多くの「おくりびと」を増やしたいものです。

 となりびと 長生き祝ふこともあり
    旅立ちおくることもありけり  庸軒