2012
02
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「坂の下にたなびく紫の雲

 老いと死を陽にとらえる時代へ」

「坂の上の雲」の時代

 3年間にわたって年末に放映されてきたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が、昨年末に終了しました。
 司馬遼太郎の歴史小説のドラマ化ですが、小国・日本が大国・ロシアを破るという歴史的事実が感動的に描かれていました。
 日露戦争で奇跡の勝利を得た日本は、その成功体験が仇となりました。アジアの国として初めてヨーロッパの強国の一角を崩し、せっかく坂をのぼって見晴らしのいい場所に出たのに、その後、坂道を転げ落ちるように太平洋戦争の敗戦へと向かいます。
 日本史上初の敗戦はまさに明治維新にも匹敵する社会の大変革であり、その後、再び坂の上の白い雲をめざした日本人は奇跡の経済復興、そして高度成長を果たします。

もう一度、白い雲をさがそう

 残念ながら、現在の日本は「第2の敗戦」などといわれ、政治も経済もアメリカのなすがままで、まったく活気がありません。坂の底もいいところで、見晴らしは最悪です。
 人々の心にもどんよりとした悲観主義があるようです。東日本大震災の発生によって、その悲観主義はいっそう深刻になりました。
 いまこそ、もう一度、天を見上げて白い雲をさがさなければなりません。そして、勇気を出して坂を上って行かねばならないのではないでしょうか。
 坂の上の雲が必要なのは、日本という国家だけではありません。サンレーという企業、そしてわたしたち個人もまた、自分なりの白い雲を見つけなければなりません。
 その白い雲を「希望」と呼ぶか、「信念」と呼ぶか、または「人生の目的」と呼ぶか、それは各人の自由です。しかし、そういった坂の上の雲を持たずに送る人生など、なんと空しいものかと思います。

下山の時代が来た

 もともと、人生とは、白い雲をめざして歩く旅のようなものです。しかし、人間というのは坂をのぼるだけではありません。その峠をすぎて秋風の中をゆっくりと坂道を谷底に向かってくだってゆくときもあります。木登りでも登山でも、「のぼり」より「くだり」が大事と言われますが、人生もまったく同様で、坂をくだる老年期というものが非常に大切なのです。
 作家の五木寛之氏も、著書『下山の思想』(幻冬舎新書)で次のように述べています。
 「私たちは明治以来、近代化と成長をつづけてきた。それはたとえていえば、山に登る登山の過程にあったといえるだろう。
 だからこそ、世界の先進国に学び、それを模倣して成長してきたのである。しかし、いま、この国は、いや、世界は、登山ではなく下山の時代にはいったように思うのだ」

人は老いるほど豊かになる

 「下山」とは、当然ながら「老い」というものに通じます。以前、五木氏は『林住期』(幻冬舎文庫)という題名の本を書きました。
 そのタイトルは、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という、古代インドの人生を4つに分ける思想からとったものです。
 古代中国でも、人生を「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の4期に分けています。五木氏は、「登山」というのは前半の2期にあたり、後半の2つの季節に相当するのが「下山」であるような気がすると述べています。
 人間の一生でいうなら、50歳までと、それ以後となります。今の時代なら、さしずめ60歳で定年退職してから後と考えるのが自然かもしれません。
 ちなみに、わたしも著書『老福論』(成甲書房)で、古代インドや古代中国の人生区分について紹介しました。ちなみに、同書のサブタイトルは「人は老いるほど豊かになる」でした。これは隣人館のテーマにもなりました。

坂の下にたなびく雲とは

 白い雲をめざして、一生懸命に坂をのぼる。そして、「のぼり」の次は「くだり」です。坂をくだってくだりきったとき、わたしたちは再び雲に出会います。ただし、その雲の色は白ではなく、この上なく高貴な紫色です。
  「紫雲」という言葉を御存知ですか?
 そう、紫雲閣の「紫雲」です。辞書を引くと、紫雲とは「紫色の雲。めでたい雲。念仏行者の臨終のとき、仏がこの雲に乗って来迎するという」と出ています。つまり、私たちが死ぬときに極楽浄土から迎えにきてくれる仏様の乗り物が紫雲なのです。
 もともと、来迎という考え方は浄土教に由来します。五色の雲に乗った阿弥陀仏が、人の臨終の際に、二十五菩薩を引き連れて迎えにくるという華麗な来迎幻想。それは、死後もなお現世の享楽を維持したいという平安時代の貴族や、現世では得られなかった至福の時を得たいと願う民衆の魂を魅了しました。

「老い」と「死」を陽にとらえる

 わたしたちは、人生という旅が終わるとき、紫の雲に乗った仏様が迎えにくるお手伝いを誇りを持って行いましょう。
 そして、素晴らしい最期の儀式のお世話をすることによって、いつか人が亡くなっても、「不幸があった」と日本人が言わなくなる日が来ることを信じましょう。それは「死」を陽にとらえて光を当てることでもあります。
 来月には、いよいよ高齢者介護施設「隣人館」が福岡県飯塚市にオープンします。これは「人は老いるほど豊かになる」という哲学が背景にある事業であり、「老い」を陽にとらえるという表現でもあります。
  「サンレー」とは「太陽の光」という意味です。この下山の思想が求められる時代とは、「老い」と「死」を直視することが求められる時代でもあります。ぜひ、大いに「老い」と「死」を陽にとらえて、真の意味で日本人を幸せにしたいものです。

 紫の雲をめざして坂おりる
    老いと死さへも陽にとらえて  庸軒