2012
07
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「この世はすべて有縁である

 無縁社会などありえない!」

●『無縁社会から有縁社会へ』

 このたび、『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)という本が刊行されました。
 著者は、佐々木かをり氏(イー・ウーマン代表)、奥田知志氏(日本ホームレス支援機構連合会会長、NHK「無縁社会」コメンテーター)、鎌田東二氏(京都大学こころの未来研究センター教授)、島薗進氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)、山田昌弘氏(中央大学教授、内閣府男女共同参画会議・民間議員)、そして、わたしの六人です。
 わたし以外は豪華メンバーですが、今年1月に横浜で開催された(社)全日本冠婚葬祭互助協会主催の新春座談会の内容を単行本化したものです。座談会には、会場いっぱいの多くの参加者が集まり、マスコミの取材もたくさん来ました。
 そこでは、無縁死問題をどのようにして克服していくか、また冠婚葬祭互助会業界としてどのように関わり、対応していけばよいのか、といった点について日本を代表する論客たちとディスカッションを行いました。

無縁社会と互助会

 戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。
 つまり、敗戦から高度経済成長にかけての価値観の混乱や、都市部への人口移動、共同体の衰退等の中で、何とか人々を共同体として結び付けつつ、それを近代的事業として確立する必要から、冠婚葬祭互助会は誕生したのです。
 ある意味で、互助会は日本社会の無縁化を必死で食い止めてきたのかもしれません。しかし、それが半世紀以上を経て一種の制度疲労を迎えた可能性があると思います。制度疲労を迎えたのなら、ここで新しい制度を再創造しなければなりません。 すなわち、冠婚葬祭の役務提供に加えて、互助会は「隣人祭り」の開催などによって、社会的意義のある新たな価値を創るべきであると考えます。

「縁」こそ冠婚葬祭業のインフラ

 この世には「縁」というものがあります。すべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは一つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いをしています。この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。
 冠婚葬祭業というのは、結婚式にしろ葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない仕事です。わたしの口癖ですが、この仕事にもしインフラというものがあるとしたら、それは人の縁に他なりません。
 「縁」の不思議さ、大切さを誰よりも説いたのが、かのブッダです。ブッダは生涯にわたって「苦」について考えました。そして行き着いたのが、「縁起の法」です。縁起とは「すべてのものは依存しあっている。しかもその関係はうつろいゆく」というものです。 モノでも現象でも、単独で存在しているものはないと、ブッダは位置づけました。

「帝釈の網」に見る縁起思想

 「帝釈(たいしゃく)の網」という、華厳の縁起思想を巧みに表現した比喩があります。
 帝釈とは「帝釈天」のことです。もともとは「インドラ」というヒンドゥー教の神ですが、仏教に取り入れられて、仏法および仏教徒の守り神になりました。 その帝釈天が地球上に大きな網をかけたというのです。地球をすっぽり覆うほどの巨大な網が下りてきたわけで、当然わたしたちの上に網はかかりました。
 一つ一つの網目が、わたしたち一人一人です。網目にはシャンデリアのミラーボールのようにキラキラ光る「宝珠」がぶら下がっています。つまり、人間はすべて網目の一つでミラーボールのような存在としたのです。
 この比喩には、きわめて重要な二つのメッセージがあります。一つは、「すべての存在は関わり合っている」ということ。もう一つは、個と全体の関係です。
 全体があるから個があるわけですが、それぞれの個が単に集合しただけでは全体になりません。個々の存在が互いに関わり合っている、その「関わり合いの総体」が全体であると仏教では考えるのです。網目の一つが欠けたら、それは網にはなりません。

無縁社会など、ありえない

 それでは、「縁起」という仏教思想を社会に当てはめてみたら、どうなるでしょうか。
 インド哲学者の奈良康明氏は、「仏教は文明共存の道を示しうるや?」という講演で、次のように述べています。
 「社会の問題に当てはめれば、家族、地域社会、会社、教団、国家、世界などの全体があるからこそ、私たち、いや、『私』は存在しています。その一人ひとりの『私』が相互の複雑なかかわり合いの中で全体を支えている。世界の中のメンバーとしてある私というものは自分だけの存在ではないし、その意味で共に生きていかなければ世界はうまくいかないのです」
 そうです、わたしたちはすべて関わり合っています。つまり、「縁」によって結ばれているのです。そもそも、社会とは縁ある者どものネットワーク(網)であり、すなわち「有縁」なのです。
 「無縁社会」という言葉ですが、これまでにも何度も言ってきたように、これは言葉としておかしいのです。なぜなら、社会とは最初から「有縁」だからです。
 「帝釈の網」を知れば、「無縁社会」など、ありえないことがよくわかります。わたしたちは、大いなる自信を持って「有縁社会」を支えていきましょう。

 人びとが関わり合ひて支へ合ふ
    有縁(うえん)を示す帝釈(たいしゃく)の網(あみ)   庸軒