第3回
一条真也
「おみおくりの作法」

 

 感動のラストシーンで話題の英伊合作映画「おみおくりの作法」を観ました。たった一人で亡くなった人の葬儀を行う仕事。その記事を新聞で読んだパリゾーニ監督は、そこに普遍的なものを感じたといいます。それは人間の孤独、死、人と人のつながりなどでした。
 地方公務員であるジョン・メイは、民生係として、ひたすら孤独死で亡くなった人を弔い続けます。事務的に処理することもできる仕事を、彼は誠意をもって行います。映画公式HPには、「仕事の枠を超え、死者に対しても敬意を持って真摯に向き合う、それがジョン・メイの作法」と書かれています。
 この映画の最大のテーマは「葬儀とはいったい誰のものなのか」という問いです。死者のためか、残された者のためか。ジョン・メイの上司は「死者の想いなどというものはないのだから、葬儀は残されたものが悲しみを癒すためのもの」と断言します。わたしは、葬儀とは死者のためのものであり、同時に残された人のためのものであると思います。
 たとえ愛する人が死者となっても、残された人との結びつきが消えることはありません。

 その問題について深く考えた人物が、ドイツの神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーです。

 彼は死者と生者との関係は密接であり、それをいい加減にするということは、この世に生きることの意味をも否定することになりかねないと訴えました。
 葬儀を行ううえで、まず、わたしたちは死者が存在するということを認める必要があります。ところが、仏教の僧侶でさえ、死者というのは、心の中にしか存在していないという人が多いようです。
 そういう僧侶は、人が亡くなってお経をあげるのは、この世に残された人間の心のために供養しているのだというのです。もし、そういう意味でお経をあげているのなら、死者と結びつきを持とうと思っても、当人が死者などいないと思っているわけですから、結びつきの持ちようがありません。
 「おみおくりの作法」は、死んでも、人間は死者として生きているということを教えてくれます。
 葬儀をテーマにした映画といえば、誰しもアカデミー外国語映画賞を受賞した日本の「おくりびと」を思い浮かべることでしょう。
 わたしは、この「おみおくりの作法」と「おくりびと」は葬儀の真の意味を考える上で相互補完する内容であると思いました。すなわち、死者にとっての葬儀を描いたのが「おみおくりの作法」であり、残された人にとっての葬儀を描いたのが「おくりびと」ではないでしょうか。
 現代の日本では「参列者のいない葬儀を行う意味などあるのか」、「そもそも葬式は何のためにやるのか」、ひいては「葬式は、要らない」などという声も出ています。しかし、たとえ参列者がいなくとも、死者がいる限り、葬儀とは必要なものなのです。
 これから大切な人を見送るかもしれない方、また自分自身の葬儀について考えている方は、ぜひこの映画を観ていただきたいと思います。わたしも、あと何度かじっくりと観直したいです。
 最後に、この映画の原題は"STILL LIFE"(直訳すると「まだ生きている」)ですが、「おみおくりの作法」という邦題は見事であると思いました。