2015
09
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

『お墓について考える季節

 さまざまな葬送の「かたち」』

●お彼岸の季節

 9月になりました。8月はお盆があって「死者を想う」季節でしたが、9月にもお彼岸があります。お彼岸には、お墓参りをしますが、9月は「お墓について考える」季節かもしれません。
 お墓の「かたち」は非常に多様化してきています。従来の石のお墓もあれば、海や山に遺灰を撒く自然葬を求める人も増えてきています。遺骨を人工衛星に搭載して宇宙空間を周回させる天空葬もあれば、月面をお墓にする月面葬もあります。
 わたしは、人間とは死者とともに生きる存在であると思います。それは、人間とはお墓を必要とする存在だということでもあります。
 現在、血縁も地縁も希薄になってきて「無縁社会」が叫ばれ、「葬式は、要らない」という葬儀不要論に続いて、「墓は、造らない」という墓不要論も取り沙汰されました。でも、わたしは生き残った者が死者への想いを向ける対象物というものが必要だと思います。

●墓と千の風

 以前、『千の風になって』という歌が非常に流行したとき、「私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません」という冒頭の歌詞のインパクトから墓不要論を唱える人が多くいました。
 でも、新聞で東海地方の葬儀社の女性社員の方のコメントを読み、その言葉が印象に残りました。それは「風になったと言われても、やはりお墓がないと寂しいという方は多い。お墓の前で泣く人がいてもいい」といったような言葉でした。その言葉を目にしたとき、すとんと腑に落ちたような気分でした。
 わたしは、風になったと思うのも良ければ、お墓の前で泣くのも良いと思います。死者を偲ぶ「こころ」さえあれば、その「かたち」は何でもありだと思っています。
 これからは既存のスタイルにとらわれず、自分らしいお墓について考える時代です。先祖代々のお墓を引っ越さなければならないという「墓じまい」や、新たにお墓を造るという「墓じたく」も大切な問題です。

●お墓の作法

 わたしは『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)という本を上梓しました。この本では、さまざまな「お墓の作法」について述べました。
 作法といえば、みなさんは決して「墓」と呼ばずに「お墓」と呼んでいただきたいと思います。新刊のタイトルは、便宜上「墓」という言葉を使っていますが、日常的にはけっして「墓」とは呼ばずに、「お墓」と呼ぶべきであるということです。
 「墓」とは石材をはじめとした単なる物体であり、唯物論的な世界の言葉です。でも、「お墓」と呼べば、そこに「こころ」が入ります。どうも、「墓」と呼び捨てにしている人は自分自身の墓が無縁化する運命にあるような気がしてなりません。
 一方、「お墓」と呼ぶ人のお墓はいつまでもお参りに訪れる人が絶えないように思います。いわゆる「言霊」ですね。

●さまざまな「かたち」

 お墓とは供養の場所、祈りの対象だとわたしは考えています。それは、必ずしも石の墓である必要はありません。
 その形態は時代に合わせて変化してかまいません。その人のライフスタイルによって「お墓参り」のスタイルが変わっても何の問題もありません。
 直筆の手紙ではなく、手軽な「メール」を使う場合もあるのと同じです。ただそこに礼を失しない、マナーや心配りが不可欠で、それさえあればいいわけです。
 「墓じまい」にせよ「墓じたく」にせよ、要は「かたち」ではなく「こころ」の問題だということです。逆に言えば、故人を大切に思う「こころ」さえあれば、さまざまな「かたち」があっても良いということです。
 「墓じまい」とは、「墓の処分」ではありません。祈る場所を変えるだけです。お墓に対して大切なことは感謝の気持ち、先祖を供養する「こころ」です。それさえあれば、祈りの場所である「墓」の形態はどう変わってもかまいません。

●四大「永遠葬」で旅立ち

 先祖に感謝する、死者を弔い、供養する気持ちがあれば、お墓のかたちにこだわる必要はありません。
 わたしは月や海にお墓を作ればいいと思っています。正確に記すなら、月や海をお墓そのものに見立てればいいと思っています。月夜に空を見上げれば祈りの場に変わります。海に手を合わせれば、ありし日の故人の面影がよみがえってきます。
 新しい葬送といえば、自然葬を思い浮かべる人も多いでしょう。これは、火葬後の遺灰を海や山にまくという散骨のことです。
 ゆえにこの「葬」はお墓への問題へとつながっていきます。お墓をどうするかは、葬のスタイルの最終形だからです。わたしは遺灰をすべて撒くのではなく、遺灰を数カ所に分けるというのをおすすめしています。たとえば、遺灰の一部を散骨し、残りは納骨堂に安置する、あるいは手元供養としていつも身につけているという方法です。
 日本人の他界観を大きく分類すると、「海」「山」「星」「月」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「海洋葬」「樹木葬」「天空葬」「月面葬」となります。わたしはこれらを「永遠葬」と名付けました。
 この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の人々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。


 亡き人を偲ぶよすがのかたちには
        海山星月こころのままに   庸軒