第11回
一条真也
「人生を修めるノート」

 

 本誌を愛読されているみなさんなら、「エンディングノート」の存在を知らない方は少ないだろう。
 超高齢社会を迎えた日本で、その必要性が増しているエンディングノートとは何か。遺言書だと思っている方がいるが、それは明らかに違う。遺言書とは、法的な拘束性があるし、財産の分配などを記載するからである。自分がどのような最期を迎えたいか、どのような旅立ちをしたいか・・・、そんな旅立つ当人の想いを綴るのがエンディングノートだ。
 その目的のひとつは、「残された人たちが迷わないため」というもの。葬儀やお墓の希望などはもちろん、病気の告知や延命治療といった問題も書き込むことができる。
「お父さんはどうしてほしい?」
「お母さんの希望は何?」。
 たとえ子供であっても、なかなか自分の意思というのは伝わりにくい。本人も迷うだろうが、そばにいる家族や知人はもっと迷い、悩む。そんなときにエンディングノートに本人の意思が書かれていれば、どれだけ周囲は救われることか。
 葬儀にしても「あの人らしいお葬式をしてあげたい」と思う気持ちが、ノートに希望を書いてもらえるだけで実現できる。
 確かに自分の死について書くことは勇気のいることだ。しかし、自分の希望を書いておくことが、実は残された人のためだと思えば、書く勇気も湧くのではないか。
 またエンディングノートには、もうひとつ大きな役割がある。それは、自分が生きてきた道を振り返る作業でもあるということ。
 気に入った写真を残す、楽しかった旅の思い出を書く、そんなことで十分である。最後に、愛する人へのメッセージを書き添える。
 残された人たちは、あなたのその言葉できっと救われ、あなたを失った悲しみにも耐えていけるのではないだろうか。
 2009年のお盆前、わたしは『思い出ノート』(現代書林)を世に送り出した。それまでのエンディングノートには無味乾燥な内容のものが多いと感じていたので、自分史の要素を加えてみた。バインダー方式で書き込みやすくしたこともあってなかなか好評で、すでに10刷を数えている。
 そして今年、わたしは、さらなるエンディングノートのアップデートをめざして、『人生の修活ノート』(現代書林)を上梓した。
 同書の特徴は、実用的な機能もさることながら、「いかに死生観を涵養していくか」という視点で構成されている点にある。 
 「書く」ことを目的とするエンディングノートは数多くあるが、「読む」ことで死生観を育んでいけるような内容を心がけた。