2004
08
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

人としてふみおこなうべき道とは?

 「礼」の力で、サンレーは勝つ!

 毎日、うだるような猛暑が続いています。そのうえ、小倉では白昼堂々、暴力団による発砲事件が相次ぎました。よくヤクザ映画などに出てくる脅し文句に「月が出ている夜ばかりじゃねえぞ」というのがありますが、北九州では月どころか太陽が出ていても命が狙われるというまったく物騒な状況にあり、私も流れ弾にでも当たりはせぬかと用心して暮らす毎日です。こんなデンジャラスな街に本社があれば嫌でも肚がすわってきて、少々のことでは動じなくなりました。
 そんな私でも、最近猛烈に腹が立ったことがありました。例のサッカー・アジア杯における日本戦での中国人サポーターたちの態度です。彼らの傍若無人のふるまいは、みなさんもよくご存じのことと思いますが、はっきり言って「無礼」の一言。「礼」とは中国で生まれたコンセプトですが、中国人サポーターたちには「礼」のかけらもありませんでした。特に相手国の国歌斉唱時の際にブーイングをしたり、国旗を焼くなどの行為は言語道断です。今の中国は世界一「失礼」な国であり、「礼」の重要性を唱えた孔子や孟子もあの世で泣いていることでしょう。
 冠婚葬祭という営みの中核となるのも、なんといっても「礼」です。私は、日頃から「礼」とはマナーというよりもモラル、平たく言って「人の道」であると言っていますが、この機会に「礼」についてさらに深く考えてみたいと思います。
 「礼」はもともと古代中国の宗教から社会規範、および社会システムにまでおよぶ巨大な取り決めの大系です。「礼」は旧字体では「禮」と書かれますが、これは「履」の意味であり、人として履みおこなうべきみちを意味しました。儒教は、八犬伝にも出てくる「仁義礼智忠信孝悌」のように徳目の一つとして、「礼」を礼儀とかマナーの意に落ち着かせようとしました。それも確かに「礼」の一部であり、後に日本に入って、小笠原流礼法として開花したことはよく知られています。
 また儒教は、他社に対する思いやりとしての「仁」を最高の徳とし、「孝」の実践を最高義としました。朱子学では「仁」が徳の中心にあり、すべての徳を含む概念であるとさえしました。しかし、本来は「仁義礼智忠信孝悌」のほうが「礼」のなかに含まれていたものであり、決してその逆ではありません。「仁」は孔子が自らの理想の、新しい何かを表現しようとして採用した特別な言葉です。「仁」の概念こそ、もともとは「礼」のなかにあったと言えるでしょう。倫理道徳、各種の祭祀、先祖供養、歴史、人間の集団における序列の意味などはすべて「礼」のなかにあったのです!
 『論語』には、「礼」・「礼を復む」・「礼を聞く」・「礼を学ぶ」・「礼を知る」などの語がたびたび出てきますが、孔子ほど「礼」の重要性を知り尽くしていた人はいません。そして、母親が原儒という葬儀業者であった孔子は、葬礼を「礼」の中心に置きました。しかし彼は、礼制に詳しい単なる知識人や学者ではなく、「礼」に関わる事実の持つ意味を徹底的に考えた人だったのです。
 たとえば、古代中国の礼制に「三年の喪」というものがありました。これは、父が亡くなったとき、子が喪に服する期間のことです。弟子の宰我という秀才が、三年では長すぎると意見を述べました。すると孔子は、いや必要だ、自分は赤子、幼児として父母にたいへんお世話になったから、そのお返しをするのだと言っています。これは三年という期間の意味づけをしています。「三年の喪」を、宰我のように事実問題として扱うのではなくて、意味問題として扱ってそれを主張しているのです。これは、きわめて重要なことです。
 孔子は、「仁」や「孝」によって人間愛の重要性も説きましたが、孔子の後に登場した墨子はそれを批判しました。墨子の墨家は「兼愛」という博愛主義を主張し、儒家の愛はかたよった「別愛」であると言って攻撃したのです。「別愛」とは、「愛」する相手を区「別」するということです。では、どのように区別するのか。儒家は、愛情は親しさの度合いに比例するとします。すなわち、最も親しい人を最も愛し、そのあと、親しさが減ってゆくのに比例して、愛する気持ちが減ってゆくとする。しごく常識的な考えです。
 そして孔子はこう考えます。人間にとって最も親しい人間とは、その字の通り親である。だから人間は誰よりも親を最も愛するのが自然である。よって、親から遠くなってゆく家族、あるいは親族に対して、その割合で愛情が薄くなってゆくとする。親に対するときを頂点とするこの愛情のありかたは、親しさのありかたに比例しています。すると、死の場合、実感としてその死を傷む悲しみもまた親しさに比例することとなります。すると、はっきり言えば、見知らぬ人の死は悲しくないことを認めるわけです。「博愛」者ならば、その立場から言って、見知らぬ人の死も悲しむこととなるでしょう。しかし、儒家はそれを偽りだとします。最も親しいがゆえに最も愛する親の死が最も悲しい、というわけです。徹底的に常識的な考え方をするのです。

 この常識の延長線上に、最も親しい親の葬儀をきちんとあげることが人間としての最優先事という儒教的価値観があります。孔子の後継者である孟子も、親の葬儀に何よりも価値を置いた人でした。彼は『孟子』のなかで、昔の習俗について述べています。かつて、親を埋葬しない人々がいた。親が死ぬと、彼らは死体を集めて溝に投げ入れるだけだった。ところがある日、その場に通りかかると、狐が死体を喰らい、蝿や蛆が死体にたかっているのを目にした。すると、とたんに額に冷汗が噴出し、彼らは横目でちらりと一瞥をくれたきり、それ以上あえて見ようとしなかった......。
 孟子は解説します。顔面に冷汗が流れたのは、「他人の目を気にしてそうなったのではない」。その反応は彼ら自身の心のもっと深いところから湧きあがったのだ。こうして彼らは、スコップと土車を取ってきて、急いで死体を埋めなおした。埋葬をきちんと行なうことは、単なる習慣の問題ではない、と孟子は結論します。それは、親子の絆を証しているのであり、死ですらそれをほどくことができない。もう一つ、孟子は次のことを慎ましく述べています。「自然の大いなる変化」に身を任せた死者の「肌に土を近づけない」ように棺桶を厚くすることに、人は心からの満足を感じる。死者であっても、その人を脅かすものに無関心でいられないのが人間の本性であるというのです。
 ちなみに墨家には、鍛冶などの鉄工業に関わる人々が多く、精神的な世界よりも物質的なものに価値を置いたといいます。葬儀などは無用の文化として、儒家に対して葬式で生計を立てる「喪家の狗」などと言って侮辱したそうです。しかし、その後の儒教の隆盛の一方で墨家は完全に歴史の彼方に消え去ってしまいました。二千五百年後の現在の日本において、鉄工都市というべき北九州市に「礼」を追求するサンレー本社がるというのも、かつての儒家と墨家の対立を考えると、実に不思議な気がします。
 いずれにせよ、墨家などよりも儒教の考え方こそ。現実的そして常識的な中国人に最も納得できる規準となりました。この規準が、中国人のありかたを決めていきます。すなわち中国人は自分たちのありかたのルールとして「礼」というものを持っていましたが、葬儀を最重要視することで、「死」がこの「礼」の規準となってゆくのです。
 人間はその一生において、さまざまな社会的関係を作ってゆきます。一般人なら、成人式、結婚、葬儀、祭祀、いわゆる冠婚葬祭です。このなかで、冠(成人式)は一般庶民にまで徹底したわけではないでしょう。また結婚しない人間もいるし、祖先の祭祀をしない者もいます。しかし、必ず避けられないものは、葬です。すなわち、葬礼こそ一般人の「礼」の中心なのです。ところで、「礼」とは(数字や物の表現によるところの)具体的な行為ですから、いわば、葬礼における礼制の考え方、礼制のくみ方、礼制の手順、といったものが、冠・婚・祭など他の礼制の組み立て方のモデルとなります。
 それでは、諸礼のモデルとなるその最も重要な葬礼はどのように組み立てられているのかといえば、親の葬礼を規準とするのです。なぜなら、一般的に言って、親が子よりも後で亡くなるという特別な事情を除くと、人間はほとんど必ず親の死を迎え、葬礼を行なうからです。この必ず経験する、親に対する葬礼を規準として、それを最高の弔意を表すものとします。逆に言えば、最も親しいがゆえに、最も悲しむわけです。
 このように親の葬礼を行なうことこそは、すべての「礼」の中心となる行為であり、「人の道」を歩むことに他ならないのです。冠婚葬祭互助会の商品とはお客様に「人の道」を立派に歩んでいただくお手伝いであり、だからこそ、当社の経営理念である「S2M」のなかには「サポート・トゥー・モラル~倫理道徳の支援」が掲げられているのです。さらに互助会の解約は「人の道」を踏み外すことにつながりやすいことから、解約防止の担当部署を「MS(モラル・サポート)センター」と呼ぶようにしたのです。
 MSセンターの業務は倫理道徳の支援そのものです。倫理の「倫」という字は、「にんべん」に「侖」と書きますが、これは人間が集まって「輪」になり「和」を作るという意味です。集まった人間間の道理や根本原理を「倫理」というのです。人間が集団になったら、ルールやマナーやエチケットを守ったほうがお互いに暮らしやすくなる。これを書き出したものを「道徳」と呼び、それを強制すると「法律」になります。
 道徳などというと単なる精神論のように思われがちですが、実は経済競争に勝つうえでも非常に重要なものなのです。日本を代表するエコノミストの日下公人氏は、道徳と経済は不可分の関係にあると断言しています。一国の経済を成り立たせているのは、そこにいる国民です。何のために働き、何を大事に考えているのか、裏切っていけないのは誰なのかといった目に見えない規範をもって暮らしている人間たちが、実際に経済を作り出しているのです。
 歴史をひもとくと帝政ローマ、大英帝国などあらゆる覇権国家の衰退・滅亡の原因には「道徳の低下」がありました。為政者や国民の道徳水準が低下すると、国内は混乱し経済は低迷する。逆に道徳が普及・徹底すると、国民相互が信頼しあう社会になるため、効率よく経済が発展を遂げて国力が高まる。これまでは「数字」による経済指標ばかりが注目されてきましたが、今世紀は「道徳」から経済を見ていくことが重要になります。
 昨今のアメリカにはこの「道徳の低下」が明らかに起きていますが、ひるがえって日本には、聖徳太子以来一四〇〇年、一本筋の通った道徳心があります。明治維新の後、ごく短期間に列強に伍するまでになったことも、第二次世界大戦後の廃墟から経済大国への復興を成し遂げたことも、道徳心によって世界に類を見ない「相互信頼社会」を作り上げていたからに他なりません。日本の底力は、この相互信頼社会の土台・土壌にあります。この土壌があればこそ、再度の経済発展はたやすいことだと日下氏は述べていますが、実は国家だけでなく、企業においてもまったく同じことが言えると私は思います。
 陽はまた昇る――日本のみならず、わがサンレーにも、この相互信頼のモラル・パワーがあると私は信じます。サンレーとは「讃礼」、礼を讃える集団、すなわち倫理道徳の集大成としての「礼」をその体内に取り込んだ組織なのです。
 冒頭に暴力団の話から入りましたが、ヤクザとは何より「仁義」を重んじ、他人のシマ、つまり縄張りを侵すことをタブーとします。そして、古代中国における「礼」というのも本来は、他国との境界線に関わる政治的概念でした。諸国が乱立しており、無用な争いを避けるためだったのでしょうが、「礼」とは何よりも他の領土を侵犯しないことから生まれた概念だったのです!ならば、いくら口では「礼」を唱えても、他人のシマに土足で入り込んでくる者には「礼」など初めからないのです。
 人としてふみおこなうべき道を常に意識し、人類の偉大な営みである冠婚葬祭業に携わるサンレーには、「礼」の力がある。私は『論語』を愛読していますが、そのこともサンレーの力になると確信しています。礼法が最強の護身術であるように、『論語』こそは最強の兵法書であることに私は気づいたのです。
 どのような外敵が来ようとも、サンレーは、大いなる「礼」の力で勝ちます!