2004
11
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

世界を救う仏教の思想、葬儀こそ日本仏教の核心

 

 昨年くらいから「仏教ブーム」だそうです。書店には数多くの仏教書が並べられています。梅原猛、河合隼雄、中沢新一といった現代日本を代表する学者によるやさしい仏教の入門書がよく売れ、朝日新聞社からは空海、親鸞、道元など著名な僧侶を各号ごとに特集する「週間朝日百科仏教を歩く」が創刊されました。
 仏教関連のCDも売れています。書店で売られている「声を出して覚える般若心経」は発売二ヵ月で十万部を売り上げる大ヒットになり、通信販売でも各宗派のお題目や説法集を収録したCDが人気とのこと。通販では、写経セットも隠れたヒット商品となっています。カルチャーセンターにも仏教関係の講座が続々と開設され、イベントでも昨年前半に開催された「大日蓮展」「西本願寺展」は約十五万人を動員しました。その他にも、坐禅、声明、精進料理などがブームになっています。
 瀬戸内寂聴氏はこのブームについて、「年金制度問題や自衛隊のイラク派遣、若者の就職難など生活を脅かす問題が世の中にあふれていて、人々の中に未来への漠とした不安があり、救いを求めているからだ」と青空法話で語っていました。
 私は、やはり「仏教ブーム」の背景には一神教への不安と警戒が大きくあると思います。アメリカによってイラク戦争が行なわれましたが、ブッシュ大統領は自己の文明を唯一の文明と考え、その文明に敵対するのは野蛮であると考えています。キリスト教世界とイスラム教世界の対立は、もはや非常に危険な状態に立ち入っています。この異母兄弟というべきキリスト教とイスラム教の対立の根は深く、これは千年の昔から続いている業です。しかもその業の道をずっと進めば、人類は滅びてしまうかもしれない。それを避けるには、彼らが正義という思想の元にある自己の欲望を絶対化する思想を反省して、憎悪の念を断たねばならない。この憎悪の思想の根を断つというのが仏教の思想に他なりません。
 曼陀羅に描かれている神々を見ればよくわかるように、仏教は本質的に多神論です。そして多神論は正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。
 このように一神教を超えた仏教への期待が現代のブームを支えているようですが、一方、仏教の現場、すなわち寺や僧侶の世界ではブームなどとは無縁な深い悩みを抱えているようです。私もよく存じ上げている文化人類学者の上田紀行氏は最近、仏教関係のシンポジウムの基調講演を行なった後、懇親会で一人の若者のこんな発言にショックを受けたそうです。「ぼくは寺の息子なんですが、よく『葬式仏教』って言われますけど、今のままの葬式を続けていたら、ぼくの世代が喪主になるころは、『もうこんな葬式ならいらない』って、坊さんは呼ばれなくなっちゃうと思うんです。ありがたくもないし、宗教的でもないし、家族の気持ちをケアするわけでもない。ぼくの同級生とかと話してると、もうそんな意味のないものならやめてしまおう、少なくとも坊さんはもう呼ばなくてもいいって言い出すように思えるんですよね。それで、『もうやめよう』って人がある割合になったときに、誰も坊主に葬式を頼まなくなり、すべてが崩壊するような気がするんです」
 「日本仏教の未来と可能性」を論じてきたシンポジウムが終わった後のこの発言に、これまで伝統仏教のあり方批判してきた上田氏でさえ度肝を抜かれたそうです。しかし言われてみれば、上田氏自身も葬式と法事には大きな不満を持っていました。菩提寺は浄土真宗ですが、若い住職は法事に来てもほとんどしゃべらない。到着して「こんにちは」。着替えて仏壇の前に座って「みなさん、こちらに」。その後、浄土真宗の教えをまとめた『正信偈』のリーフレットを配って一緒に唱和するが、その後は説教もいっさいなしで、「それでは、これで」。お布施をもらって「どうも」。そして再度着替えて「さようなら」。家に入ってから出るまで、五回しかしゃべらない。お経以外で口を開くのは正味四、五秒でしょうか。そして決定的なことは、上田氏が彼を見ていても彼が仏教を信仰しているとは全く思えないし、宗教者としてのオーラが全くないというのです。
 上田氏は著書『がんばれ仏教!』の中で述べています。「葬式に僧侶が呼ばれなくなるかもしれない」ということが絶対あり得ないと否定できるだろうか。 例えば田舎の寺のように、壇家と僧侶が普段から親しく、亡くなる前に十分な交流があったり、死を迎えるケアにも何かと関わったりしているならば、その葬式にも必然性があるだろう。しかし、田舎であっても都会であっても、菩提寺とはほとんど交流がなく、死んだ後にほとんど知らない僧侶がやってきて、その葬式が宗教的に格調高いわけでもなく、遺族のケアが行なわれるわけでもなく、単にお布施と戒名料が請求されるといったような場合は、「もうこんな僧侶は葬式にはいらない」となってしまう可能性はある。そして、そう考える人が人口の一〇パーセントでも出てきたときに、それは早晩二〇パーセントにも四〇パーセントにもなり、劇的に増加するかもしれない。
 上田氏は、葬儀業者が次のようにささやく時代が来るかもしれないと言います。「お坊さんを三人呼ぶと四十五万円かかります。でも、読経をテープにすれば三万円です。そのかわり、故人の人となりと生涯を会葬の方にもわかっていただき、遺族の方々のお気持ちにもケアが行き届く、専門の教育を受けた葬儀コーディネーターを十万円でご用意できます。そちらのほうが皆さんもむしろ敬虔な気持ちになり、ご遺族にも会葬者も葬儀に対する満足度が高いと、このごろは評判なんですよ」。
 死に臨んだ者のケアもできず、残された家族のケアもできず、人格も品格も仏の慈悲も何も感じられないような僧侶の場合、その将来に希望を持てというほうが難しいでしょう。本当に納得できる葬儀を求めて、葬儀の形が大きく変化する可能性は十分あるのです。
 いや、私は必ず大きく変化すると思っています。仏教はその思想性が時代に強く求められながらも、葬儀や法事など現実の場面において現代人のニーズやウォンツを必ずしもとらえきれていないのです。そして、その足りない部分を補完する者は冠婚葬祭業の私たち以外にありません。残された家族のケアなどは、まさに最たるテーマでしょう。
 しかし私は、お寺本来の機能の復活ということを考えています。仏教伝来以来千五百年ものあいだ、日本の寺は生活文化における三つの機能を持っていました。「学び・癒し・楽しみ」です。  まず、「学び」ですが、日本の教育史上最初に庶民に対して開かれた学校は、空海の創立した綜芸種智院でした。また江戸時代の教育を支えていたのは寺子屋でした。寺は庶民の学びの場だったのです。
 次の「癒し」ですが、日本に仏教が渡来し最初に建立された寺である四天王寺は四つの施設からなっていました。「療薬院」「施薬院」「悲田院」「敬田院」の四つですが、最初の三つは、順に病院、薬局、家のない人々やハンセン病患者の救済施設であり、最後の敬田院のみが儀式や修行を行なう機関でした。四天王寺にして、当時の総合医療センターであり、中世以降も高野聖など、寺に定住しないで行く先々の地域の問題に対応した多くの僧たちがいました。  最後の「楽しみ」、芸術文化ですが、日本文化ではそもそも芸術、芸能は神仏に奉納する芸であって、それ自体が宗教行為でした。お寺を新築するときの資金集めのための勧進興行などがお堂や境内で大々的に行なわれました。
 こう考えてみると、「学び・癒し・楽しみ」は仏教寺院がそもそも日本人の生活文化において担っていた機能だったのです。しかし、明治に入って、「学び」は学校へ、「癒し」は病院へ、「楽しみ」は劇場や放送へと、行政サービスや商業的サービスへと奪われてしまい、寺に残った機能は葬式だけになってしまいました。
 今年二月にオープンした「サンレ-グランドホテル」はまさに、かつてのお寺が持っていた「学び・癒し・楽しみ」をテーマとする複合施設です。現在、全国各地のお寺でさまざまなイベントやセミナーなどが開催され、「お寺ルネサンス」が叫ばれていますが、実は二十一世紀の祇園精舎をめざすサンレ-グランドホテルの誕生こそが真の「お寺ルネサンス」なのです。
 冠婚葬祭業者としての私たちは仏教界に身を置くわけではありませんが、仏教とは切っても切れない深い関わりを持っています。さて、最近の仏教界における一大事件といえば、何といっても、現役僧侶にして芥川賞作家、玄侑宗久氏の登場でしょう。かねてから多くの人々は疑問に思っていました。日本の仏教者からの現代宗教に切り込むような発言が聞こえてこないのはなぜか。新宗教はともかく、在来仏教からの発言は極めて少ない。あのオウム真理教事件のときでさえ、沈黙したままであった。文学もしかり。五木寛之氏など在家の作家が仏教について書くことはある。しかし日本文化の基層をなし、これだけ数多く寺もあるのに、仏教作家が教団内からでないのはなぜか。
 そう多くの人々が思っていたところに、現役の僧侶の小説家が出現したのです。福島県生まれの玄侑氏は慶応義塾大学中国文学科を卒業後、さまざまな職業についたのち二十七歳で仏門に入った、現在四十代半ばの臨済宗僧侶です。デビュー作の『水の舳先』の内容は、直球勝負そのもの。主人公は僧侶であり、彼は重い病を抱えた患者の集まる湯治場で、人の死に際に関わり、看取りと葬式を執り行ないます。僧侶である著者が、死と救済、看取りと葬儀の意味について書く。あまりにまっとうすぎて、どこも逃げ場のない世界が小説のテーマとして選ばれているのです。このデビュー作は第一二四回芥川賞候補作となりました。
 そして目を離す暇もなく、次作『中陰の花』で第一二五回芥川賞を受賞します。それからの大活躍はすさまじく、三年ほどの間に、単行本になった小説が七冊、エッセイや仏教書が六冊、対談を二冊上梓しています。私は全著作を読みましたが、その筆力のレベルの高さに驚嘆しました。その他、数え切れないほど雑誌やテレビにも登場しており、今や瀬戸内寂聴氏と並んで日本で最も知名度の高い僧侶となっています。
 玄侑氏の小説はどれも僧侶を主人公とした仏教小説とでも呼ぶべきものですが、なかでも私が一番感銘を受けたのは、『アミターバ 無量光明』です。これは、人間が死んでから葬儀が行なわれるまで、その間の様子を死者の側から描くという前代未聞の作品です。死ぬ瞬間の場面は圧巻ですが、肉体を離脱した霊魂は、病院での臨終から自らの葬式までに体験した出来事を私たちに詳しく報告してくれるのです。きわめて感動的なラストが待っているこの本を読めば、誰でも葬儀の必要性を痛感するのではないでしょうか。
 玄侑氏は、世の多くの僧侶と違い、仏教に心から誇りを持ちつつ、葬儀の本質を深く理解しています。「文芸春秋」十一月号に「新・冠婚葬祭入門」なる特集が組まれていますが、その中の「葬式無用という人もいるが、それでもお葬式は必要なのでしょうか」という質問に対して、玄侑氏は次のようにずばり答えています。 「よく『葬式無用』などと言う人がいるのは、私も知っています。しかしそういう方は、葬儀の社会的な側面にあまりにも無知だというしかありません。一時にお別れのできるそんな機会を作らなかったら、遺族はその後どんなことになるか想像力がはたらかないのでしょう。たいてい一ヶ月とか、長ければ二ヶ月ちかく、弔問客が自宅を訪ねてくることでしょう。その対応に、遺族は疲れ果てます。そういう例を、私は実際に何回か見知っています。どうしても宗教的な葬儀を、とは申しませんが、少なくとも『お別れの会』などの形であれそうした時間をもつことは、遺族へのせめてもの思いやりだと思うのです」
 葬儀は悲しみを発露し、しかも何かしらそこから力を得る場でもあります。弔うというのは、死者を悼み、また家族を慰めることですが、それも一定の型のある時間にこそ瞬発しやすいものです。日常に戻るため、あえて非日常を作るというのが葬儀なのだと力説する玄侑氏。氏のような僧侶が登場したということは、まだ日本の仏教も捨てたものではないと私は思いました。誰が何と言おうと、日本仏教の核心は葬儀であり、葬儀によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求をみたしてきたことを忘れてはなりません。サンレ-グループ、特に紫雲閣のみなさんは、ぜひ玄侑宗久氏の本をお読み下さい。