2005
02
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「神道は日本人の心の柱

  産霊は万物創造の秘力」

 今年も二月三日に、松柏園ホテルの顕斎殿における節分祭ならびに合同厄除け祝いが行なわれました。昨年、四十二の大厄を迎えた私も、ようやく厄から解放されました。この一年を思い返せば、無事に過ごせたことには感謝していますが、個人的にはあまり良いことはなかったように思います。肉体的にも変わり目を実感した一年でした。
 厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」、つまり共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようです。
 厄年は時代や土地によってさまざまに決められていました。現在でも信じる人が多いのは男性の二十五歳と四十二歳、女性の十九歳と三十三歳で、特に四十二は「死に」、三十三は「さんざん」と語呂合わせされるところから大厄と言われています。大厄の前後を前厄、後厄とするのも全国的です。
 男性の四十二歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、五十代、六十代といった老年期にある者と、十代、二十代にある若者や青年たいっとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要である。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。
 このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。
 しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような厄年の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。
 ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。神道が日本人の心の奥の奥にまで影響を与えているといってよいでしょう。伊勢神宮の心の御柱にならっていえば、日本人の心の柱となっているのが神道です。なんといっても日本人のアイデンティティの根拠は、神話と歴史がつながっていることです。神話により日本人は、現在の天皇家の祖先が天を支配する天照大神につながることを知っています。月読尊が海を支配し、須佐之男命が地を支配したことも知られています。天照大神はいまも伊勢神宮に祀られており、その子孫が皇室です。月読尊の場合はあまり記録に残っていませんが、須佐之男命は出雲の神へと続き、その子孫が連綿と続いて、一族の一人は戦前に東京市長も務めていました。このように神話時代が現在まで続いているのは日本だけであり、そこに日本文化の最大の特色があります。いわゆる歴史的事実ではないけれども、神話の時代と断絶しないでつばがっているという感覚は、戦後の日本において、公の場から追放されました。
 ただ、国民は神話につらなる伝承から切り離されることを全部望んでいるかというと、潜在的にはそうでないと私は思っています。たとえば新年になると明治神宮だけでも元日に三百万人以上の参拝人が参ります。最近、「観光」をテーマに明治神宮の外山勝志宮司と佐久間会長が対談しましたが、明治神宮はまさに驚異の集客スポットです。世界のいかなる教会でも一日に数百万人も押しかけるということを聞いたことがありません。それが日本中の神社において見られる現象なのです。日本人は誰が命ずるのでもないけれど、アイデンティティのもととして、元日になるとインプットされたデータが作動するように、「出てきなさい」という呼びかけがあるごとく神社へ行く。受験勉強で忙しい受験生はなおさら行く。ここに日本人の潜在的欲求を見るような気がします。
 また、正月になると門松を立て、「お正月さま」といわれる神霊や祖霊をお迎えします。鏡餅をつくって床の間にお供えし、お雑煮を食べ、神霊の力とその年の魂、つまり年魂をいただく。本来お年玉とはその年の魂をいただくことを意味しました。それは古くは餅で表わされましたが、やがては子供に対する小遣いのお金として表現されるようになります。お年玉とは、その一年が無事息災で健康に生きられるよう年球をいただくという象徴的行為なのです。クリスマスプレゼントのように、神様から贈られるものなのです。すなわちそれは、魂の贈与であり、生命の贈与でした。その命の贈与によって、今ここに私たちが生きていくことができる。その贈与する偉大な存在、神霊や祖霊に対して感謝の念を表わすことが正月の儀礼です。正月七日になれば七草粥、また十五日になれば小正月やトンド祭り。二月になれば豆まきや節分祭、三月に雛祭り。五月に鎧兜を飾って端午の節句。六月の晦日には大祓をして、積み重なってきた半年の罪汚れを祓い清め、夏越の祓を行なう。七月には七夕。八月にはお盆の先祖供養。九月には中秋の名月を祝う。十月、神無月には日本の神々はみな出雲の国に集まって神集いをする。そのために出雲ではその月を神有月という。十一月には収穫感謝祭である新嘗祭を行ない、十二月には冬至の家庭祭祀をする。カボチャを食べたり、ゆず湯につかったり、またこのとき宮中では鎮魂祭が行なわれたる。そして十二月の大晦日には一年にたまりたまった罪汚れを祓い清める大祓を行なう。
 このような季節季節の祭りが定時の祭りとして、年中行事としてとり行なわれます。これは、巡りいく自然、季節と人々の暮らしを調和あるものに結びつけていくための生活の知恵であり、工夫であり、また祈りと感謝なのです。祭りの中に、日本人の日々の暮らしの祈りや願いや感謝の「かたち」がこめられているのです。「祭りのない神道はない」という言葉がありますが、それはそのような生活に宿る神道の姿を重視しているのでしょう。
 祭りとは何でしょうか。当社の社歌の作者でもあり、神道に立脚する宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、祭りとは自然と人間と神々との間の調和をはかり、その調和に対する感謝を表明する儀式であるといいます。
 祭りには四つの意味があります。第一に神の訪れを待つこと。第二に、お供え物を奉ること。第三に、その威力を道にまつろうこと。第四に、神と自然と人間との間に真釣りが、すなわち真の釣り合い・バランス・調和がうまれること。だから祭りのない神道はありえないし、神道の精神と具体的な実践は、大は国家の祭礼や祭典から、中は町や村といった共同体の祭り、そして小は各家々の祭りに至るまで、さまざまな祭りを通して表わされることになるのです。それでは、神道とは何か。神道を素直に読めば「かみのみち」です。
 神道は教義でも儀式でも神話でも歴史でもありません。それは「神教」すなわち「神についての教え」ではなく、文字通り、「神の道」なのです。そして、それには二つの道があると鎌田氏は述べています。一つは、「神(から)の道」、もう一つは、「神(へ)の道」。英語で言えば、″The Way from KAMI・と″The Way to KAMI・の二つの″KAMI WAY・です。
 「神からの道」とは、永遠の宇宙進化とも宇宙的創造行為とも言えます。神道ではそれを「むすび(産霊)」の神ないし力ととらえ、その力の発現の過程の中に過去・現在・未来があると考えてきました。その意味では、「神からの道」とは、存在の流れとも、万物の歴史とも言うことができるでしょう。それは、言ってみれば、永遠からの贈り物(当社社歌のタイトル!)であり、存在世界における根源的な贈与です。それが神話や儀式や伝承として伝えられてきたのです。それに対して、もう一つの「神への道」とは、その根源的な贈与に対して心から感謝し、畏敬し、「返礼」していく道です。それがお祈りや祭りとなります。祈りも祭りもともにそうした根源的な贈与に対して捧げられる返礼好意であり、感謝と願いなのです。
 さて、「むすび」という言葉が出てきましたが、この語の初出は日本最古の文献『古事記』においてです。冒頭の天地開闢神話には二柱の「むすび」の神々が登場します。八百万の神々の中でも、まず最初に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神が登場しますが、そのうちの二柱が「むすび」の神です。『古事記』は「むすび」の神をきわめて重要視しているのです。大著『古事記伝』を著わした国学者の本居宣長は、「むすび」を「物の成出る」さまを言うと考えていました。「産霊」は「物を生成することの霊異なる神霊」を指します。息子や娘の「むす」も苔むす「むす」も同じ語源であり、その「むす」力を持つ「ひ」とは、「万物を生みなす不思議な霊力」、すなわち「物の成出る」はたらきをする「物を生成することの霊異なる神霊」を意味します。つまるところ、「産霊」とは自然の生成力をいうのです。本居宣長こそは「むすび」神学の提唱者といえますが、続いてその「むすび」思想を展開したのは、彼の没後の門人・平田篤胤でした。平田篤胤の国学は幕末の尊皇攘夷の志士たちの精神的支柱となります。さらには、民俗学者の折口信夫や、生長の家教祖の谷口雅春、世界救世教教祖の岡田茂吉などの神道系新宗教の人々が「むすび」に注目しました。
 その中でも、折口信夫が大変興味深いことを言っています。産霊の「むすび」と、結合の「むすび」と、水を掬ぶ「むすび」の関わりについてです。産霊と結合の「むすび」は、起源も信仰内容も違うが、いつしか二つは結びついた。そして、水を掬ぶ「むすび」は、元来「身体の内へ霊魂を容れる」「霊魂を結合させる」ことであり、それこそが「産霊の作法」だったというのです。
 霊魂を結合させること、つまり「結魂」こそ産霊の本質といってもよい。あいかわらずハウスウエディングなる奇妙な施設が人気を集めているようですが、やはり日本人の結婚式は、「産霊」を最上のものとする神前結婚式が望ましい。神前式において、新郎の魂と新婦の魂は結びつけられ、それによって、子どもという新しい生命も誕生する。まさに命を生み出す力です。挙式直後の離婚も珍しくないハウスウエディングなど、いたずらに離婚率を上昇させ、出生率を低下させている。私に言わせれば単なる「離婚工場」であり、著しく国益を損なっています。現在の国際情勢を見ても、戦争や紛争の大きな背景には、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の一神教同士の対立があります。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。
 一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道のよさは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている。神道のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に必要なものではないでしょうか。
 結婚という人間界最高の平和と、神道という平和宗教とは基本的に相性がいいのです。いずれにしても、「むすび」とは、本来、生成力つまり、自然の万物を生み出すクリエイティブな力を表わしました。やがてその言葉が、折口信夫が言うように、結合という概念と結びつき、異質なもの同士を結び合わせる力の表現にもなっていったのです。沖縄における「チャンプルー」文化も、結局は「むすび」文化ということになります。
 「産霊」は当社の社名の意味の一つです。みなさんも、ぜひ、産霊の意味と、その大いなる力を知ってください。