2005
04
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「松柏は不易の常緑樹

 二つの庭園で和洋共生」

 私の庸和という名は、祖父の栗田光十郎がつけたそうです。私はこの名前に古臭さを感じて、子どもの頃はとにかく嫌で嫌でたまりませんでした。「庸」の画数が多いため、小学生の頃は字を書くのに手間取り、試験の答案を書くときなども不利な思いをしました。 また「つねかず」と読める人が皆無に近く、いつも「やすかず」と誤読されました。手紙などの宛名も佐久間康和様と書かれたこと数えきれません。さらに日本には、奈良時代に「租・庸・調」というものがあったため、「庸」の文字は過酷な重税を連想させ、私の中でイメージの悪いことこの上なかったのです。
 大学生の頃はシンプルで現代的な名前に強くあこがれ、マコトとかアキラとかヒロシといった名を持つ人がうらやましくて仕方がありませんでした。一条真也という私のペンネームも、おそらくシンプルな名にあこがれる心から生まれたものだと思います。
 しかし、その後、社会に出て十年以上経ってから、自分の庸和という名についてじっくりと考えてみたことがありました。庸和は「庸」と「和」に分かれます。まず、「庸」という字は普通の常識では「凡庸」といったネガティブな言葉に連なって理解されていますが、陽明学者の安岡正篤の著作などを読むと、本来は人間の厳粛な統一原理を意味することがわかります。その他にもいろいろな意味がある。
 説文学的に言うと、庸は庚+用です。
 庚には改める、更新するという意味がありますが、庸にもやはり同じ意味があって、そこから、絶えず刷新してゆく、続くという意味が出てくる。また、それに従って、用いるという意味も出てくる。だから雇傭する、人をやとうというのは何のためかと言うと、いろいろ仕事を絶えず刷新してやって貰うためなのです。そこで庸の字は手柄・功績・業績の意味にもなります。また従って「つね」という意味もある。私をはじめ人の名前に使われるときには、たいてい「つね」と読んでいます。高田馬場の安兵衛で有名な堀部安兵衛武庸、あれも「たけつね」と読む。なぜ「つね」と読むか。人を用いて、いろいろ業績を挙げてゆくのには、どうしてもそこに一貫して変わらざるものがなければいけません。そこで一般化しますと、当然「つね」、すなわち平常という意味が生まれてくるわけです。また、恒徳という意味にもなる。
 そういうふうになれば、みんな嬉しいこと、楽しいことになりますね。いつも変わらずによく仕事をして、役に立って、それがお手本・きまりになってゆくような人になると、自然とみんなの調和がよくなる。そこで和やかという意味もある。これは人間にとってきわめて望ましい一般的・普遍的なことです。また、そうでなければならぬことです。  いま、和やかと言いました。ここで庸和のもうひとつの字である「和」が出てきます。人間の意識が進むにつれて、喜怒哀楽の感情が発達するわけですが、その感情の未だ発しないとき、すなわち一種の「独」の状態、これを別の言葉で「中」と言います。中が発してみな節に中=あたる、これが「和」というものです。私たちの意識を「気」という文字で表わしますが、意識にもやっぱり意識の基本的なものがあるわけで、それは「気節」と呼ばれる。その気節を失わないのが「節操」です。音楽で言うならば、基本的な部分の音節が発して、すなわち音律となって、曲にあたり、これが「和」なのです。
 このように「庸」と「和」は同義語に近い文字であり、ともに非常に深い意味を持っています。そして、いずれも『論語』を出典としています。雍也篇に、
「子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな」がある。「先生が言われた。中庸の道徳としての価値はいかにも最上である」の意味ですが、この中庸というコンセプトは後に四書五経の一冊をなす『中庸』の誕生につながりました。中庸について、朱子は「中とは過不足のないこと、庸とは平常の意」と記しています。
 「和」といえば聖徳太子の「和を以って貴しと為す」が有名ですが、実はこの語句の出典も『論語』です。 「有子曰く、礼の用は和を貴しと為す」が学而篇にある。「有子が言われた。礼のはたらきとしては調和が貴いのである」の意味で、聖徳太子に先んじて孔子がいた。
 この「庸」と「和」を合体させて「庸和」とした祖父のセンスはただごとではないと最近つくづく感じます。おそらく祖父は『論語』を愛読していたのでしょう。そういうわけで、ともに『論語』に由来する二字から成る庸和という名を持つ私は、『論語』の子と言えるかもしれません。
 そして、祖父はもうひとりの『論語』の子を世に送り出しました。松柏園ホテルです。
「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る」は、子罕篇に登場します。
「先生が言われた。気候が寒くなってから、はじめて松や柏が散らないで残ることがわかる」と訳しますが、春や夏で樹木がみな緑のときは、松や柏といった常緑樹の青さはあまり目立たない。しかし、しだいに寒くなり、他の木がすべて落葉した時節になると、はじめて松柏の輝きが目立つという意味です。
 転じて、人も危難のときにはじめて真価がわかると孔子は言いたかったのだと思います。この「松柏」から命名されたのが、わが松柏園ホテルです。最近、北九州市にも流行のハウスウエディング施設ができ、また近く競合互助会が大型の結婚式場を建設するとのことですが、そんなものは全くどうということはない。
 思い起こせば、ホテルにせよ結婚式場にせよ、これまでに何度も強力なライバルが次々に出現し、そのたびに「今度こそ松柏園も終わりか」と言われてきました。しかし、そのたびに創意と工夫で危機を乗り切ってきた歴史があります。何度も絶体絶命のピンチに立たされながらも不死鳥のごとくよみがえってきたではありませんか!  松柏園は不易の常緑樹なのです。巨額の設備投資によるホテルや式場は立地もハードも松柏園に比べて格段に勝るものばかりでしたが、それらのほとんどは舞台から姿を消し、残った施設も業績を落とし続けているではありませんか!気がつけば、松柏園が小倉で、一番長い歴史を持つ、もっとも伝統のあるホテルになりました。
 ハウスウエディングとは、しょせん流行ものです。そして、流行ったものには必ず廃れるという運命が待っています。松柏園が「不易流行」の「不易」であるのに対し、ハウスは「流行」なのです。
 そして、ハウスの時代の終焉を確信したのが、私が互助会業界でもっとも尊敬していた名古屋冠婚葬祭互助会の土田三次郎会長の死去の報にふれたときでした。土田氏は自らハウス最初期の施設である「マリエール岡崎」をはじめ時代に先駆けて多くの結婚式場をつくられ、業界に一大ハウスウエディング・ブームを巻き起こされた方です。しかしその一方でグループの旗艦店である「名古屋平安閣」だけは最後まで名称変更されず、伝統的な日本人の結婚式にこだわられました。
 その土田会長にハウスについていろいろと質問した経験がありますが、そのとき、「佐久間君、ハウスは一年目は信じられんくらいの数字が出るけど、二年目からはガクッと落ちるよ。三年目はもっと落ちて、五年目には撤退や」とおっしゃられたのが非常に印象に残っています。ハウス・ブームを仕掛けたご本人の言葉だけにとても説得力がありました。そして、名古屋平安閣をそのままに残しておられる理由もよくわかりました。昨年末にお亡くなりになられたとお聞きしたときは驚き、深い悲しみの念も抱きましたが、仕掛け人の死によってハウスの時代も終わりに近づいたと実感しました。私は天国から土田会長が、
「佐久間君、日本人の結婚式って何だろう?」と問いかけているような気がしてなりません。
 ハウスウエディングというのは、ほとんどすべてがイギリス館・フランス館・イタリア館といった馬鹿の一つ覚えのワンパターン施設です。ヨーロッパの雰囲気を売り物にしているわけですが、ヨーロッパを超えるものこそ、ローマです。それは現在のイタリアのローマ市のことではなく、イタリアもフランスもイギリスも、その他のヨーロッパ諸国もすべてその領土とした、かの古代ローマ帝国のことです。ヨーロッパを超える上位概念こそローマなのです。昨年、自らローマを訪れた私は「これからは、絶対ローマだ!」と確信しました。
 かくして、松柏園ホテルの隣に古代ローマ帝国をイメージしてつくられた結婚式場「ヴィラ・ルーチェ」が二月一日にオープンしました。おかげさまで、開業以来とても好評で予約もどんどん入ってきています。「普遍帝国」と呼ばれるように、ローマには時代を超えた普遍性があります。また、現代の日本人の結婚式は完全にヨーロッパに目が向いていますが、その欧風結婚式の源流はローマに行き着きます。ウエディングドレスやブーケや新郎が新婦を抱きかかえる儀式などもすべてローマで生まれた。だから、ヨーロッパの源流という意味でローマはトレンデイでもある。つまり、「不易」と「流行」の相反する両方のテーマを追えるものがローマなのです。
 ヴィラ・ルーチェの最大の特徴は、ローマ式庭園です。ローマ帝国の遺跡をモチーフにしてギリシア・ローマ神話の太陽神アポロン、月の女神ダイアナをはじめとしてイタリア直輸入の彫刻が立ち並ぶ景観は圧巻で、さらにオリュンポス十二神のすべてを配置する予定です。
 オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」で有名な「真実の口」もある。ガゼボやカリヨンもある。季節の花も色鮮やかに咲いている。
 本当に、庭園ほど贅沢なものはありません。いくら立派なハードであろうが、庭園には絶対かなわない。庭ほど、人の心を豊かにするものはないのです。
 西洋における庭園は、『旧約聖書』に出てくるエデンの園を再現する試みでした。人気のイングリッシュガーデンでも幾何学的なフランス式庭園でもみんなそうです。そのエデンの園をもっとも忠実に再現しようとしたのがイスラムの庭園文化でした。『コーラン』において、アラーの神はまさしく、楽園を庭園として規定しました。そしてイスラムの人々は、来世にそれを熱望するだけでなく、現世においてもそのイメージを実現しなければならないと考えたのです。  中国では道教の思想による神仙庭園が発達し、日本では仏教の庭園文化が花開きました。寺院の境内に極楽浄土の荘厳を試み、寺院の環境から生じる雰囲気によって信仰心を強めようとしたのです。ここに寺院庭園の一つの形式として浄土庭園が生まれます。
 このように庭園とは天国や極楽、つまりハートピアの雛形だったのです。 ヴィラ・ルーチェの西洋庭園が人気を集めていますが、松柏園ホテルにはもともと好評の日本庭園があります。ここには松と柏もあれば、見事に咲き誇る桜もある。漱石や鴎外の句碑もあれば、古代の聖なる岩・ペトログラフまである。こんなすごい庭がどこにありますか!
 日本庭園と西洋庭園の両方を持っている施設というのは全国でもきわめて珍しい存在です。先月、日本のハイブリッド文化、チャンプルー文化についてお話しましたが、まさに松柏園がそれを実現した。それはまさに「和魂洋才」や「和洋折衷」を超越した、大いなる「和洋共生」とも言える高次元の芸術的実験でもあります。もともと松柏園は小笠原流の大広間「松柏」と英国風バンケット「ザ・ブリティッシュクラブ」が同じフロアーにあるなど、「和洋共生」の奇跡が実現した場所でした。今回のヴィラ・ルーチェでさらに進化したと言えます。そして「和洋共生」とは、陰陽の合体であり、結婚=結魂にもっともふさわしいものであり、「産霊」「庸」「和」など、そのすべてにつながるピースフルな精神なのです。
 私は今ではまったく現代的な名前にあこがれてはいません。祖父が『論語』をもとに命名してくれた庸和という名に心から誇りを持っています。そして、不易の常緑樹としての松柏園ホテルの最終的勝利を確信しているのです。ちなみにマリエール・オークパインの「オークパイン」とは「松柏」の英語であり、ここにも不易の言霊力が宿っています。 ハウスなど流行り廃れの根無し草
        松と柏は常に青々 庸軒