2006
10
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「丹波哲郎さんが教えてくれた

 大霊界に持っていけるもの」

 俳優の丹波哲郎さんが肺炎でお亡くなりになりました。84歳でした。言うまでもなく、数多くの映画やテレビドラマに出演した大俳優であり、死後の世界の真相を説く「霊界の宣伝マン」としても有名でした。霊界についての本を60冊以上出版し、映画まで製作して空前の霊界ブームを巻き起こしました。
 実は、私は丹波さんには生前大変にお世話になりました。今からもう15年くらい前のことですが、『ロマンティック・デス』を読まれた丹波さんから連絡をいただき、新宿の中華料理店で会食したことがありました。
 そのとき、「こういう本を書くことによって人々の死の不安を取り除いてやることは素晴らしいことだ。でも、いつかは執筆だけではなく、大勢の人の前で直接話をしなくてはいけない。私が演説の仕方を教えてあげよう」と言われたのです。その後、新都庁近くにあった丹波オフィスを十数回訪れ、話し方のレッスンを無料で受けたのです。現在の私が多くの講演や大学での講義などの活動ができるのも、丹波さんのおかげと心から感謝しています。大恩人です。レッスン後の「霊界よもやま話」も楽しい時間でした。
 その他にも、『遊びの神話』に書いた「科学とは過去をとらえ、芸術とは現在をとらえ、宗教とは未来をとらえるものである」や、『ロマンティック・デス』に書いた「生きることは面白い。そして、死ぬのが楽しみだ!」という私の言葉をとても気に入って下さり、主宰する「来世研究会」の会報に紹介していただいたこともありました。
 また、「サンレー・サンクスフェスタ」をまだ「大葬祭博」と呼んでいた頃に講演にお呼びしたり、演劇版「大霊界」の協賛をさせていただいたことも、なつかしい思い出です。
 その後、私が東京から北九州に居を移したこともあり、丹波さんとお会いする機会は急激に減っていきました。それでも、年賀状や暑中見舞いなどは交わしていましたし、最近では昨年夏に『ロマンティック・デス』が幻冬舎から文庫化されたとき、お祝いのハガキを頂戴しました。丹波さんは文庫化を我が事のように喜んで下さいました。
 実は丹波さんの死をめぐって、私はとても不思議な体験をしました。9月25日に(社)全日本冠婚葬祭互助協会の九州ブロック総会が福岡で行われました。ブロック長の任を受け、初めて総会の進行や挨拶をしなければならない私は、少々ストレスを感じながら前夜にスピーチの練習をしていました。そのとき、ふっと丹波さんのレッスンの思い出がリアルによみがえってきたのです。丹波さんの笑顔、優しいおだやかな顔が、ありありと脳裏に浮かんできたのです。
 本当に何年ぶりかも忘れるくらい久しぶりに丹波さんのレッスンを思い出しました。幸い、翌日の総会は無事に終わりましたが、帰宅した夜、テレビのニュースで丹波さんの訃報に触れ、本当に驚きました。しかも、私が久方ぶりに丹波さんのことを思い出した、まさにその時刻に亡くなられていたという事実に、私は深い感動をおぼえました。そして、「これは、丹波さんが霊というものが存在することを身をもって私に証明して下さったのだ」と確信したのです。
 私は、なんとしても丹波さんの葬儀には参列しなければならないと思い立ち、すでに決定済のスケジュールを大幅に変更にして東京へと向かいました。東京に着いた夜、宗教哲学者の鎌田東二氏とお会いしたのですが、そのとき、鎌田氏から刊行されたばかりだという一冊の本を手渡されました。その本の名は『霊の発見』。作家の五木寛之氏との対談集です。タイトルそのままに、お二方が「霊」や「霊能力」や「霊界」について熱く論じ合った本です。
 序文の「霊の世界を考える旅のはじめに」の冒頭で五木氏は、「霊ということばが、これほど私たちのまわりにあふれ返っている時代は、これまでになかったような気がする」と述べています。守護霊とか、背後霊とか、霊能者とか、霊感といった言葉を、一日に何度となく目にしたり耳にしたりしない日はないというのです。
 「霊」という言葉は、おどろおどろしい印象を与えがちです。そのせいか最近では「スピリチュアル」というキーワードが流行し、「スピリチュアル・カウンセラー」と称するカリスマ霊能者がメディアを賑わしています。
 実際に霊的な世界を題材にしたテレビ番組などは高い視聴率を示していますし、週刊誌や月刊誌、それに単行本などでも、霊をとりあげる風潮はいっこうに衰えを見せません。
 それにしても、日本を代表する作家と学者の二人が堂々と「霊」を語るとは!私は感慨深く本を頂戴しました。表紙カバーには「霊界は実在するのか」と書かれています。鎌田氏と別れた後、早速ページを開いてみました。すると突然、私の目に「丹波哲郎」という活字が飛び込んで来たのです!ちょうど80ページでした。すべて読了してみて、「丹波哲郎」という固有名詞はその一箇所にしか登場しないことを確認しました。またしても、不思議な偶然の一致。明らかに心理学者のユングが「シンクロニシティ」と読んだ現象です。
 その箇所は次のようなくだりでした。
五木 日本人はいま、いろいろなかたちで、霊のささやきというものに耳を傾けている。かつては、たとえば丹波哲郎さんが霊界の話をしても、みんな面白がりながらも、いわゆるトリックスターの言説として、受け止めているようなところがあったわけです。
鎌田 ああ。『大霊界』のときですね。80年代は、そんな感じでしたね。
五木 なにか、おもしろいおっさんやな、というかたちで、吉本興業的なとまではいかなくても、そういう目で見ていた・・・でもいまは、一見ふざけているようで、結構、彼らの予言あるいは神託、つまり霊能者といわれる人たちの言葉に、どこか左右されている部分があるんじゃないか、そんなふうに思えるんですね。
 最近の霊能者ブームに対しても、五木氏は危惧します。
 人々が評判の霊能者のところに、どっと押しかけて、無防備に、人生におけるあらゆることのお伺いを立てている。子どもが生まれたら名前を相談する。子どもに向いている学校はどこかと見てもらう。合格するための行も授けてもらう。海外旅行から引越しから、見合いに着ていく服や髪型まで決めてもらう人もいるらしい。そうなると、依存症を通り越して、自分を見失い、霊能者に自分の人生を預けているとしか思えない。そのことを五木・鎌田両氏は心配しています。五木氏の愛読者であり、鎌田氏の文通相手である私もまったく同感です。
 丹波さんの説く「大霊界」はもっと大らかでした。そして夢がありました。丹波さんは数多くの臨死体験者の証言や、スウェーデンボルグをはじめとする心霊主義の研究書、エジプトやチベットの『死者の書』などの死のガイドブックなどから独自の霊界論をまとめ上げました。常々、「私は霊能者ではない。霊界研究者にすぎない」と公言されていました。そこに丹波さんの誠実さ、謙虚さを私は感じてしまうのですが、丹波さんの説く大霊界には誰にでも非常にわかりやすいという特徴がありました。
 人は死ぬとどうなるのか。臨死体験者は、川や湖のある「光の楽園」で「光の天使」にその旅の行先についての決断をせまられ、この世界に戻ってきます。だが、死者の場合は、出迎えの霊人とともにその川や湖を渡って、さらにその先へと進みます。精霊界から霊界へと旅を進めるのです。そこから先は丹波さんの著書『大霊界を見た』に次のようにコンパクトにまとめられています。
 「あなたは出迎えの霊人とともに大きな山の頂に立つ。
 あなたと霊人は、個体はそれぞれ別に離れているが、本来はまったく同じものである。だから、彼の発するあたたかさがあなたに流れ込み、不安も淋しさもまったくない。感動と感激で、あなたは叫び、涙するだろう。真に救われた思いを体験するのだ。
 いま見渡す霊界層は、まことに広大無辺な驚嘆すべき眺めである。キラキラ輝く海のような光が広がり、その無限のなかに人間界の村落のような無数の村むらが何億と点在する。そのひとつが、あなたの村なのだ。その村へあなたは霊人の案内で、何のためらいもなく一直線に帰って行く。
 あなたの村で、あなたは住人たちから歓喜の出迎えを受ける。見よ、何と村人全員があなたと何もかもそっくりなのだ。性格、性情、趣味、嗜好、ほとんどあなたと同じといっていい。だから、村人同士の親密さは人間界の親子の比ではない。人びとは無限の時間をその村で、仲良く、楽しげに暮らすのだ。衣食住の心配もなく、好きなことに専念し、全員が力をあわせ、次つぎと新しいことに取り組みながら・・・。
 また、この霊界のさらなる高みには天界層がある。人間界にいるときから、"愛"を意識し、"愛"を行い、"愛"を押し広めて、妬(ねた)み、嫉妬、憎悪の感情を取り除き、素直に明るく、自然にふるまって生きていた人が無条件で行ける世界、霊界で修行を積み、新たに資格を得た人が行ける。そこは至福の世界である。あなたの死後には、そんな世界が待っているのだ。」
 私たちはその日のために大いなる存在に生かされているのです。それにしても、何というシンプルで豊かな霊界像でしょうか。
 私は、東京の青山葬儀場で執り行なわれた丹波さんの葬儀に参列しました。黒柳徹子さんが弔辞で数々の芸能界における丹波さんの功績を讃えつつも「もっとも偉大な功績は、死は怖くないと人々に説いたこと」だと述べておられました。また、俳優の西田敏行さんは、丹波さんが霊界の真相を説くことによって「自由で豊かな心を与えていただいた」と感謝し、丹波さんのモノマネで参列者を笑わせながらも、最後には「お見事なご生涯でございました!ありがとうございました!」と絶叫し、感動を呼びました。
 葬儀は無宗教の音楽葬でした。「Gメン75」や「キーハンター」といった主演作の主題歌も流れ、良いご葬儀だったとは思いますが、ただひとつ残念だったのは演出が音楽のみで丹波さんがあれほど情熱を傾けた「大霊界」が十分に表現されていなかったことです。もちろん会場のハードの問題もあるでしょうが、わが紫雲閣のハートピアシステムなら可能でした。大霊界を表現してみたかった!
 丹波さんの笑顔の遺影の前で献花したとき、「佐久間くん、霊界はやっぱり素晴らしい所だぞ!」という丹波さんの野太い声が聞こえたような気がしました。
 丹波さんは素直で自由で豊かな心で魂のふるさとに還って行かれました。思えば、丹波さんほど多くの本を読まれて教養のある方もいませんでした。金でも株券でも不動産証書といったこの世の「仮の富」などではなく、教養そして心の豊かさという「真の富」を持ってあの世に還られた丹波さん。合掌しながら、「死は怖くない」と多くの人々に伝える丹波さんの志を自分なりに受け継ぎたいと強く思いました。
 はじめて皆さんにお知らせすることですが、私は丹波哲郎さんともう一人、美輪明宏さんから「あなたには大きな使命がある」と直接言われたことがあります。私には、それが多くの人々から「死の不安」を取り除き、「心の豊かさ」の大切さを伝えることだとわかっています。決して謙虚さを忘れず、かつ、大いなる使命を与えられたことに誇りを持ちながら、自らのミッションを果たしていきたいと思っています。もちろん、サンレーの事業活動を通じながら、社員のみなさんと共に。
 最後に、丹波さんは私に「魂のお世話をした人は、死後、良い世界に行けるんだよ」と教えてくれたことがあります。魂のお世話とは、男女の魂を結ぶ冠婚、故人の魂を送る葬祭、つまり冠婚葬祭業に他なりません。
 サービス業の人材不足が深刻化する昨今ですが、魂のサービス業としての冠婚葬祭業ほど素晴らしい仕事はないのだという霊的事実を皆さんにお知らせしておきます。

 心のみ持ち込めること
   恩人の野辺の送りに思い知らされ  庸軒