2012
10
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「深刻化する領土問題

 礼こそは究極の平和思想」

中止になったTV取材

 じつは、9月末から今月の初めにかけて、某テレビ局の取材がわが社に入るはずでした。1日のサンレー本社総合朝礼にも多くの取材クルーが入ることになっていました。
 孔子の生涯と『論語』の教えを紹介した正月特番の取材で、来年1月に全国放映される予定でした。孔子の「礼」の思想を実践しているということで、わが社は数日間にわたって取材を受け、孔子文化賞を授与された社長のわたしがインタビューで孔子の思想とサンレーの経営理念について大いに語るという構成でした。
 「天下布礼」にとっても非常に有意義な取材であり、わたし自身も楽しみにしていました。ところが、九月の後半になって「取材も放映も延期になった」との連絡が入ったのです。取材受け入れの準備も進んでおり、わたしも大変驚きました。

最悪になった日中関係

 なぜ、このような事態になったのか。
 番組の制作会社の説明によれば、昨今の日中関係の悪化が最大の原因だそうです。この番組は中国国営テレビとの共同企画ということもあって、企画そのものが難しくなったようです。
 まことに残念ですが、たしかに現在における日本と中国との関係は最悪であると言っても過言ではないでしょう。
 日本の尖閣諸島の国有化問題で、中国ではこれまでにない大規模な反日デモが繰り広げられ、多くの日系企業が襲われました。日本を代表する企業であるトヨタをはじめ、パナソニック、イオン、ユニクロなどの工場や店舗が次々に破壊され、商品を略奪される光景をニュースで見て、呆然とした人も多いと思います。

無法国家に負けるな!

 歴史的に見ても、また国際法上も、尖閣諸島は明らかに日本固有の領土です。にもかかわらず、無法を繰り広げる中国の人々やそれを黙認する中国政府を見ていると、怒りを通り越して悲しくなってきます。混乱の中、台湾の漁船まで尖閣に来ました。
 無法国家なのは、中国だけではありません。韓国の李明博大統領が島根県の竹島(韓国名は独島)に上陸し、さらには大統領直筆の石碑の除幕式を行いました。これは、もう悪質な挑発行為以外の何物でもありません。
 日本には軍事力がないので、諸外国から完全に舐められています。加えて、基本的な外交方針を持たない現政権の体たらく。
 いくら軍事力ではかなわなくても、日本は国際社会に対して「間違っていることは間違っている。正しいことは正しい」と言い続けなければなりません。

互いの違いを認めあうこと

 9月23日に放映されたNHKスペシャル「対立を克服できるか ~領土で揺れる日中・日韓~」にジャーナリストの櫻井よしこさんが出演されていました。櫻井さんは優しい口調ながらも日本人として言うべき正論を的確に発言していました。
 櫻井さんは、韓国の識者に対して「互いの違いを認めあうことが大切」と語っていました。日韓の事はなかなか解決できないかもしれないけど、互いの違いを認めて未来を見つめることは今から出来ることです。
 また櫻井さんは「隣国というのは、好き嫌いに関わらず、無関係ではいられない」とも言われていました。その通りです。まさに人間も同じで、いくら嫌いな隣人でも会えば挨拶をするものです。それは、人間としての基本でもあります。

今こそ「礼」が求められる時代

 そして、この人間としての基本を「礼」というのです。中国や韓国が崩したものは国際法という「法」だけではありません。「法」よりも大切な「礼」というものを崩しました。
 「礼」とは、2500年前の中国の春秋戦国時代において、他国の領土を侵さないという規範として生まれたものだとされています。その「礼」の思想を強く打ち出した人物こそ孔子です。
 そして、逆に「礼」を強く否定した人物こそ秦の始皇帝でした。それは、始皇帝は自ら他国の領土を侵して中国を統一する野望を抱いていたからです。
 始皇帝は『論語』をはじめとする儒教書を焼き払い、多くの儒者を生き埋めにしました。世に言う「焚書坑儒」です。人類史上に残る愚行とされています。
 しかし、始皇帝が築いた秦帝国はわずか14年間しか続きませんでした。しょせんは「人の道」を踏み外した人間の作った国など、長続きしなかったのです。

「礼」は究極の平和思想

 今回の一連の反日デモといい、現在の中国は世界一の「礼」なき国だと言えるでしょう。「礼」の重要性を唱えた孔子や孟子もあの世で泣いていることでしょう。
 冠婚葬祭という営みの中核となるのも、なんといっても「礼」です。わたしは、日頃から「礼」とはマナーというよりもモラル、平たく言って「人の道」であると言っています。
 原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。
 相手が仲間だとわかったら、抱き合ったり、敬意を示すために平伏したりしました。このような行為が「礼」の起源でした。「礼」こそは最強の護身術であるとともに、究極の平和思想としての「人類の道」だと思います。
 日本、韓国、中国、台湾といった東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れているはずです。今こそ、その究極の平和思想としての「礼」を思い起こす必要があります。いずれ孔子特番が実現したら、そのことをインタビューでぜひ語りたいです。

 礼こそはかの聖人が遺(のこ)したる
     平和みちびく人類の道  庸軒