2013
11
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間 庸和

「新しい儀式文化の創造

 禮鐘が日本の葬儀を変える!」

●霧ヶ丘紫雲閣のオープン

 

 10月2日、わが社の新しいセレモニーホールである「霧ヶ丘紫雲閣」が北九州市小倉北区にオープンしました。

 北九州市内では18番目、福岡県内では31番目、サンレーグループとしては55番目の紫雲閣です。

 竣工神事では、1300年の歴史を持つ足立山妙見宮から磐梨文孝宮司にお越しいただきました。磐梨宮司の声は素晴らしく、祝詞の内容も「礼」や「ホスピタリティ」といったハートフル・キーワードが織り込まれた、非常に格調高いものでした。祝詞としては、きわめて異例ではないでしょうか。

 また磐梨宮司から、「これまで多くの竣工式に立ち会ってきましたが、これほど神事での拝礼が素晴らしい会社は初めてです!」との有難いお言葉を頂戴しました。わが社は「礼の社」をめざしていますので、礼儀で評価されることが一番嬉しいですね。

 

 ●記念すべき年に・・・

 

 竣工式の後、施主挨拶が行われました。

 わたしは、次のように挨拶しました。

 このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しい。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができる。この周辺は、足立・黒原という小倉でも有数の高級住宅地が近くにあり、さらにキメの細かい高品質のサービスに努めていきたい。

 また、わたしは「今年は、伊勢神宮の式年遷宮、出雲大社の大遷宮が重なるという年です。そんな記念すべき年に、霧ヶ丘紫雲閣を竣工できて本当に嬉しく思います。奇しくも、本日は伊勢神宮の内宮で新しい社殿にご神体を移す『遷御(せんぎょ)の儀』、つまり式年遷宮の本番が行われる日です。宮司様の警蹕(けいひつ)の声を聞いていると、魂が揺さぶられ、また鎮められるようでした。まさに、タマフリとタマシズメです。そして、わたしたちの仕事も、魂のお世話そのものです。「サンレー」という社名は産霊(むすび)という魂の業に由来しているのです」と述べました。

 

 ●クラクションから禮鐘へ

 

 霧ヶ丘紫雲閣は、個人の邸宅をイメージして作られた新感覚のセレモニーホールです。いま、「家族葬」という言葉が誤解されていますが、多くの方々の縁に感謝しながら参列者をお迎えしつつ、家族によって温かい見送りができる、ここで真の意味での「家族葬」を提案したいと思います。いわば、サンレーが考える家族葬です。

 この霧ヶ丘紫雲閣では、出棺の際にクラクションを鳴らすことはやめました。その代わりに、「禮」という文字が刻まれた銅鑼(どら)を鳴らして出棺する「禮(鐘(れいしょう)の儀」を新たに行います。新時代の儀式が、ここから生れます。

 セレモニーホールとは、ある意味で港のようなものです。そう、故人の魂が「こちら側」から「あちら側」へと旅立つための港です。船の出港の際には、銅鑼を鳴らすもの。その意味でも、「禮鐘の儀」はぴったりである。そして、わたしは「人生を旅立つ港霧が丘 銅鑼を叩けば禮と響けり」という短歌を披露しました。

 

●禮鐘の意味とは

 

 竣工式の後は、「禮鐘の儀」のデモンストレーションが行われました。最初に林直樹支配人から説明があり、禮鐘が3回叩かれました。この3回というのは「祈り」「感謝」「癒し」の意味が込められており、サンレーに通じる「三禮」という意味もあります。

 鐘は会館正面に建つ鐘楼につり下げられ、直径50センチ、暑さが10センチ、重さは50キロ近くもあります。3回叩くと、禮鐘からは「レイ、レイ、レイ~」という音が響いたような気がしました。

 正確には、禮鐘は「鰐(わに)口(ぐち)」という鐘です。古代の日本では、神社にも寺院にもともに鰐口が吊るされていたそうです。その後、時代が下って、神社は鈴、寺院は釣鐘というふうに分かれていったのです。 

 ですから、鰐口は神仏共生のシンボル、さらには儒教の最重要思想である「禮」の文字が刻まれた「禮鐘」は神仏儒共生のシンボルとなります。言うまでもなく、神道・仏教・儒教は日本人の「こころ」の三本柱ですね。

 

●鐘の音で人生を旅立つ 

 

 もともと、わが社は1978年(昭和53年)、北九州市に日本初の都市型葬祭会館である「小倉紫雲閣」を建てました。

 最近では家での葬儀が減って葬祭会館などで行うケースが増えたのに伴い、都市部に建つ施設が多くなりましたが、同時に周辺住民の方々がクラクションの音を迷惑がる例も目立ってきました。霧ケ丘紫雲閣の前には道路を挟んで小倉有数の高級住宅街が広がります。それで、「禮鐘」の導入を決意したのです。

 鐘の音はクラクションに比べて低く、響きが少ないです。本来、クラクションにはいわれがなく、かつて野辺の送りの時に鳴らされた鐘の代わりに使われた慣習に過ぎません。

 儀式とは、時代に応じて柔軟に変化して構いません。もちろん、「変えてはならない」部分と「変えてもよい」部分がありますが、わたしは出棺時のクラクションは鐘に変えるべきだと思います。

 最も大事なことは、故人を送り出すという心であることは言うまでもありません。葬儀が「人生の卒業式」ならば、鐘の音は出港するドラの音にも似て、故人があちらの世界へ旅立つのには、ふさわしいと思います。半年以内に全ての紫雲閣に鐘を設置する予定です。わが社が生み出す新しい儀式イノベーションです。 

 数年以内には、全国の葬儀からクラクション音が消えている。そんな予感がします。  

 

 人生を旅立つ門出飾るには  

           鐘を鳴らして送るのがよし   庸軒