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一条真也
「なぜ葬儀は必要なのか」

 

 昨年の師走、「東京赤坂ロータリークラブ」で卓話を行いました。テーマは、「なぜ葬儀は必要なのか」でした。わたしは簡単な自己紹介をした後、まず「0葬」について話しました。みなさんは、「0葬」という言葉を知っているでしょうか。通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。
 わたしは宗教学者の島田裕巳氏が書いた『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)に対して、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)を書きました。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。かつて、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。今回は、戦いの第2ラウンドということになります。じつは、1年前に同クラブで島田氏の卓話が行われたそうです。何か因縁めいたものを感じます。
 昨年の8月15日、終戦70年を迎えました。じつに日本人だけで310万人もの方々が亡くなった、あの悪夢のような戦争から70年という大きな節目を迎えたのです。3月20日には、地下鉄サリン事件から20年を迎えました。ということは、いわゆるオウム真理教事件はちょうど戦後50年の年に起こったことになります。麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)は「ナチス」に異様な関心を抱いており、自身をヒトラーに重ね合わせていたことは有名です。ナチスやオウムは、かつて葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスはガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。いま世界から非難を浴びている過激派集団イスラム国しかりですが、わたしは葬儀を行わずに遺体を焼くという行為を絶対に認めません。それは「人間の尊厳」を最も損なうものだからです。
 しかしながら現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。
 ただ、わたしたちは「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想をはらんでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。
 20年前の一連のオウム真理教事件の後、日本人は一気に「宗教」を恐れるようになり、「葬儀」への関心も弱くなっていきました。もともと「団塊の世代」の特色の一つとして宗教嫌いがありましたが、それが日本人全体に波及したように思います。それにしても、なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか?
 葬儀によって、有限の存在である"人"は、無限の存在である"仏"となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」ということです。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのでした。
 さらに、わたしは『永遠葬』の直後に『唯葬論』(三五館)を上梓しました。同書のサブタイトルは「なぜ人間は死者を想(おも)うのか」です。わたしのこれまでの思索や活動の集大成となる本です。わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。
 葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そして、死者を弔う行為は「人の道」そのものです。以上のようなお話をしたところ、盛大な拍手を頂戴して感激しました。
 いま、ある出版社から島田裕巳氏とわたしの対談本の企画が進行しています。島田氏とは以前もNHKの討論番組で「葬儀」をテーマに意見交換したことがありますが、意見が違うからといって、いがみ合う必要などありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切です。わたし自身、島田氏との対談を楽しみにしています。