2016
02
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

「ゲスの極みにならないために

 きちんと冠婚葬祭をしよう!」

●今年は「礼の年」

 新年祝賀式典の社長訓示では、今年が申年であることに言及しました。猿といえば日光東照宮の三猿が有名です。「みざる・きかざる・いわざる」の出典は、『論語』です。本来は「うごかざる」が加わり「四猿」です。
 『論語』の「顔淵篇」には、顔淵が孔子に仁とは何かを問う場面が出てきます。孔子は「己に打ち勝ち、礼の原点に立ち戻ることが仁である。」と答えました。顔淵が「その要点を教えてください」と尋ねると、孔子は「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わない、礼にはずれたことはしないことだ」と教えました。

●「礼」と「ハートフル」は同義語

 そう、申年の本年はまさに「礼の年」なのです。「礼」は儒教の真髄ともいえる思想です。それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかります。
 そもそも礼(禮)という字は、「示」(神)と「豊」(酒を入れた器)から成るように、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。これが、礼の起源であると言われます。
 ところが、他にも「礼」には意味があります。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」だというのです。ということは「礼」とは「心ゆたか」であり、「ハートフル」ということになります。「ハートフル」は流行したわたしの造語ですが、なんと「礼」という意味だったのです!

●50年前の「創業守礼」

 もともと宗教用語であったと言ってもよい「礼」の観念が変質し、拡大していくのは、春秋・戦国時代からです。礼の宗教性は希薄となり、もっぱら人間が社会で生きていくうえで守るべき規範、つまり社会的な儀礼として、礼は重んじられるようになります。
 『論語』にも礼への言及は多く、このことからも孔子の時代には、礼は儒家を中心によく学ばれていたことがわかります。孔子の門人たちにとって、礼を修得しなければ教養人として自立したことにはならないとされ、冠婚葬祭などのそれぞれの状況における立ち居ふるまいも重要視されるようになったのです。
 50年前、つまり1966年、中国では毛沢東がその名も「文化大革命」を起こしました。そのとき、「批林批孔」運動が盛んになり、孔子の思想は徹底的に弾圧されました。世界から「礼」の思想が消えようとしていたのです。まさに、そのとき日本でサンレーが誕生したわけです。運命的なものを感じます。

●ゲスの極みにならないために

 礼は「儀礼」によって実現されます。儀礼には国家儀礼のような大きなものもありますが、個人においては通過儀礼が重要となります。すなわち、結婚式や葬儀などの冠婚葬祭ですね。
 さて、今年最初に驚いた芸能ニュースは、「週刊文春」がスクープしたタレントのベッキーとロックバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音の不倫報道でした。
 川谷絵音は昨年夏、バンドを結成時から支えた女性と結婚しました。しかし、世間には結婚したことを公表しませんでした。
 結婚していること自体を秘密にしているため、結婚式も挙げませんでした。彼の奥さんは身内だけでも結婚式をしたいと願望を伝えましたが、その気持ちは届きませんでした。
 川谷絵音とベッキーは、本物の「ゲスの極み」になってしまいました。その最大の理由は、川谷がきちんと結婚式を挙げなかったことに尽きると思います。

●きちんと儀式を行う

 結婚したら、必ず結婚式を挙げなければなりません。これは、国家や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。
 結婚式は何のために行うのかと考えたら、それは簡単に言えば、神や人の前で離婚しないように約束するためです。ですから、神前式でも教会式でも人前式でも、2人が夫婦として仲良く添い遂げることを誓う「宣誓の言葉」を述べるのです。結婚するだけなら役所に婚姻届を出せばいいし、結婚式をしたことを周囲の人々に知らせ祝福してもらいたいのなら、レストランでの披露パーティーで充分です。わざわざ結婚式をやる意味とは、離婚を防止するため、これに尽きると思います。
 そもそも、最初から離婚するつもりで結婚する人が、この世にいるでしょうか。もし、そんな人がいたら、まず「慰謝料目当て」という言葉を連想し、さらには「保険金殺人」といった犯罪の匂いさえします。

●冠婚葬祭は「人の道」である

 自分が結婚しても結婚式を挙げないから、ゲスの極みになってしまうのです。同じく、親が亡くなっても葬儀を挙げないのもゲスの極みです。孔子の最大の後継者である孟子は人の道を歩む上で一番大切なことは親の葬儀をあげることだと述べました。
 史上最高の哲学者とされたドイツのヘーゲルも、孟子同様に「親の埋葬理論」を説いています。もともと、約7万年前にネアンデルタール人が死者に花を手向けた瞬間からサルがヒトになったとも言われるほど、葬儀は「人類の精神的存在基盤」とも呼べるものなのです。
 親に限らず、愛する肉親の葬儀をきちんとあげることは、人間として当然のことであることは言うまでもありません。
 きちんと冠婚葬祭を行うことが、きちんと人生を送ることにつながるのです。

 人の道外(はず)るることは動かざる
      下衆(げす)の極みにならぬためにも  庸軒