2016
04
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

「新入社員のみなさんに問う

 死ぬまでに何をやりたいか?」

●新入社員を迎えて

 4月1日、サンレーグループの入社式を行いました。今年も多くの新入社員のみなさんを迎えました。心より歓迎いたします。
 いつも入社式の日になると、社長として、新入社員のみなさんの人生に関わることに対して大きな責任を感じます。
 そして、世の中の数多くある会社の中から、サンレーを選んで下さったことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 わが社のミッションは「人間尊重」であり、「礼」の精神に通じます。具体的には、「冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをする」ということ。冠婚葬祭は目に見えない「縁」と「絆」を可視化して、目に見せてくれます。そして究極の「おもてなし」とは何か。それは、魂のお世話をすることだと思います。
 その意味で、冠婚葬祭業は最高の「おもてなし産業」であると言えます。なぜなら、結婚式とは新郎新婦の魂を結ぶ「結魂」の、葬儀とは故人の魂をあの世へと送る「送魂」の儀式だからです。

●『死ぬまでにやっておきたい50のこと』

 このたび、わたしは『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)という本を上梓しました。「人生の後半を後悔しないライフプランのつくり方」というサブタイトルが入っていますが、けっして高齢者だけに向けた本ではありません。新入社員のみなさんのような若い人たちへのメッセージでもあります。
 死の直前、人は必ず「なぜ、あれをやっておかなかったのか」と後悔するといいます。さまざまな方々の葬儀のお世話をさせていただくたびに耳にする故人や遺族の後悔の念。それらのエピソードを共有していけば、すべての人々の人生が、今よりもっと充実したものになるのではと考えて、この本を書きました。
 「今日」という日が「残された人生における第1日目」という厳粛な事実に無頓着では充実した人生は望めません。「死」は決して他人事ではありませんが、必ず誰もが死ぬのだとはなかなか納得できません。若い人なら、なおさらです。

●世に生を得るは事を成すにあり

 希望に胸を膨らませている若いみなさんにぜひ聞きたいのですが、みなさんには自分自身、そして愛する人の死が明日突然に訪れるかもしれないという切実さがあるでしょうか。
 東日本大震災の発生から5年が経過して、マスメディアは大々的に報道していましたが、 亡くなられた方やご家族を憐れみや同情で語ることに終始したのでは「他人事」のままです。誰も、6年目の報道を「他人事」で迎えられる保証はないのです。
 人間、いつ死が訪れるかわかりません。そこで、大切になってくるのが志です。志とは心が目指す方向、つまり心のベクトルです。志に生きる者を志士と呼びます。
 幕末の志士である坂本龍馬は「世に生を得るは事を成すにあり」との言葉を残しました。これは、「志」というものの本質を語った言葉であると思います。
 「志」は「死」や「詩」と深く結びついています。日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、「死」と「詩」を結びつけました。

●死を意識して、生きる意味を知る

 死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと思います。
 「死」と「志」も深く結びついていました。 死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知ります。もともと日本人の精神世界において「死」と「詩」と「志」は不可分の関係にありました。龍馬の言葉に触れると、「何のために生きるのか」といったことを考えずにはおれません。
 同じく幕末を生きた吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは志を立てることだと日ごろから門下生たちに説いていました。
 志を持ったら、その志すところを身をもって行動に表さなければなりません。その実践者こそ志士であるとする松陰は、志士のありよう、その覚悟を、「志士とは、透徹した志を持して節操を守る士のことである。節操を守る士は、困窮することはもとより覚悟のうえで、死する覚悟をつねに念頭に置いて忘れることがない」という言葉で述べました。

●志をもって、夢を追求しよう!

 わたしは、志というのは何より「無私」であってこそその呼び名に値するものであると強調したいです。松陰の言葉に「志なき者は、魂なき虫(無志)に同じ」というのがありますが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。
 平たく言えば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく世の多くの人々、「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。
 4月は日本全国で桜が満開になります。わたしは満開の桜を見るたびに、「散る桜残る桜も散る桜」という良寛の辞世の句を思い出してしまいます。
 考えてみれば、人の人生も桜のようなもので、満開のときに結婚式をあげ、散ったときに葬儀をあげるのかもしれません。
 かつて、わたしは「花は咲きやがて散りぬる 人もまた婚と葬にて咲いて散りぬる」という短歌を詠みました。また、「日の本の礼の社に咲きたるは 人をもてなす若き桜よ」という歌も詠みました。新入社員のみなさんには大いに期待しています。どうか、悔いのない人生を送って下さい。

 散る桜残る桜も散るならば
       なすべきことを想ふて果たせ  庸軒