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一条真也
「老いと死があってこそ人生!」

 

 サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があります。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う」で始まるこの有名な詩は、多くの高齢者たち、とくに高齢の経営者たちに人気があります。肉体に対する精神の優位をうたい上げ、ものごとをポジティブにとらえるという点では、わたしも大いに共感しています。

 しかし、ウルマンの詩には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がその根底にうかがえます。ウルマンの「青春」は「老い」そのものを肯定するものではないのです。

 おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生という大きなフレームのなかでとらえる必要があります。

 そこで出てくるのが「ライフサイクル」という考え方です。最近、心理学をはじめとしてライフサイクルが重視されるようになりました。心理学は人間が年齢とともに成長、発達することに注目して、人生を段階に分けて青年期、中年期、老年期などと呼んで研究してきました。考えてみると、ライフサイクルといった考えは、東洋には昔からありました。『論語』には以下の有名な言葉が出てきます。

「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」

 この言葉は、孔子によるライフサイクル論であり、かつ理想のライフプラン論であるといえます。60歳になって人の言葉を素直に聞けて、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。70歳になると自分の思うままに自由にふるまって、それでいて道を踏み外さないようになった。すなわち、孔子が「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成として見ていることを示しています。

 また、『論語』と同じく儒教の四書五経の一つである『礼記』にも「人生と事」が以下のように述べられています。

「人生まれて十年を幼と曰ふ。学ぶ。二十を弱と曰ふ。冠(せいじん)す。三十を壮と曰ふ。室(つま)あり。四十を強と曰ふ。すなはち仕ふ。五十を艾(がい)と曰ふ。官政に服す。六十を耆(き)と曰ふ。指し使ふ。七十を老と曰ふ。すなはち伝ふ。八十九十を耄(もう)と曰ふ。七年を悼(とう)と曰ふ。悼と耄とは、罪ありといへども形を加へず。百年を期と曰ふ。頤(やしな)ふ」

 これを中国文学者の下見隆雄氏は以下のように訳しています。

「人が生まれて十年を幼といい、学ぶことを始める。二十を弱といい、冠をつける儀式があり成人になる。三十を壮といい、妻をむかえる。四十を強といい、仕えて士となる。五十を艾といい、官職や政務を治めることに従う。六十を耆といい、人を指図し使役する。七十を老といい、家事を子に伝える。八十九十を耄という。気力精神活動ともに衰えてくる。生まれて七年を悼という。愛情をかけ保護してやらねばならない。悼と耄とは罪があっても形を加えない。年幼い者は識慮が浅いのだし、とし老いたる者は尊敬しなければならないからである。百歳を期という。よくやしない保護しなければならない」

 これは「志学、而学、不惑、知命、耳順、従心」という『論語』のライフプランと比べて、きわめて現代的であるといえるでしょう。なお、「弱冠」という語はここに由来します。

 理想の人生を過ごすということでは、南宋の朱新仲が「人生の五計」を説きました。それは「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」の5つのライフプランです。朱新仲は見識のある官吏でしたが、南宋の宰相であった秦檜(しんかい)に憎まれて辺地に流され、その地で悠々と自然を愛し、その地の人々に深く慕われながら人生を送ったといいます。そのときに人間として生きるための人生のグランドデザインとでも呼ぶべき「人生の五計」について考えたのでした。

 「生計」とは、いかに天地の大徳を受けて、人生を元気に生きいきと生きるかを考えて生活することです。「身計」とは、いかに身を立てるべきか、世に処すべきか、志を立てるべきかということです。「家計」とは、家庭生活をいかに営むか、夫婦関係や家族関係はどうあるべきか、一家をいかに維持するかを考えて暮らすことです。「老計」とは、いかに年を取るべきかを考えて生きること、「老い」の価値を生かして生きることです。そして、最後の「死計」とは、いかに死ぬかを考えて生きることです。

 この五計は時代や地域を超えてすべての人に当てはまる最上の人生設計というべきですが、「老計」のみならず「死計」までをも人生設計に組み入れた朱新仲の考えの深さには驚かされます。そう、「老い」、そして「死」までをも含んで初めて「人生」となるのです。「老い」から「死」までをしっかり生き切って初めて「人生」というひとつの形が浮かび上がるのだといえるでしょう。