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一条真也
「梅の花に平和を想う」

 

 梅のシーズン到来。太宰府天満宮や北野天満宮をはじめ、各地の梅の名所には多くの観光客が訪れている。
 梅の花を見ると、わたしはいつも『論語』を連想する。わたしは、日本・中国・韓国をはじめとした東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れていると信じている。
 ところが、いま、日中韓の国際関係は良くない。というか、最悪である。三国の国民は究極の平和思想としての「礼」を思い起こす必要がある。それには、お互いの違いだけでなく、共通点にも注目する必要がある。
 そこで重要な役割を果たすのが梅の花だ。日中韓の人々はいずれも梅の花を愛する。日本では桜、韓国ではむくげ、中国では牡丹が国花または最も人気のある花だが、日中韓で共通して尊ばれる花こそ梅なのだ。この意味は大きいと思う。
 それぞれの国花というナンバー1に注目するだけでなく、梅というナンバー2に着目してみてはどうだろうか。そこから東アジアの平和の糸口が見えないものかと思う。
 梅は寒い冬の日にいち早く香りの高い清楚な花を咲かせる。哲学者の梅原猛氏によれば、梅とは、まさに気高い人間の象徴であるという。 日本人も中国人も韓国人も、いたずらにいがみ合わず、偏見を持たず、梅のように気高い人間を目指すべきではないだろうか。
 各地の梅の名所は、海外からの観光客の姿が目立つ。わたしは、戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会「戦争をすれば損をする」というシステムを浸透させるべきであると考える。
 損得勘定で動くのは経済だが、「戦争をすれば貧しくなる」を進めて「戦争をしなければ豊かになる」という方向に持っていくことが必要だろう。
 そこで「戦争」の反対概念になるのが「観光」である。もともと「戦争」とは相手国を滅ぼそうという営みであり、「観光」とは相手国の素晴らしさ(光)を観ようという営みだ。まさに正反対なのだ。