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一条真也
「日本人は和を求める」
 わたしの最新刊『和を求めて』(三五館)が刊行された。帯には「和」というテーマに合わせた和服を着た、わたしの写真が使われている。
 着物は父から譲られた大島だが、小倉にある松柏園ホテルの茶室で撮影した。この茶室は小笠原流礼法宗家であった故小笠原忠統先生が設計に携わられた由緒あるものだ。
 『和を求めて』は、『礼を求めて』『慈を求めて』の続編である。わたしは日本人の「こころ」は神道・仏教・儒教の3つの宗教によって支えられていると思っている。「礼」は儒教の、「慈」は仏教の、そして「和」は神道の核心をなすコンセプトだ。
 「和」といえば、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉が思い浮かぶ。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立する。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞が「和国の教主」と呼んだことはよく知られる。
 しかし、太子は単なる仏教保護者ではなかった。神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたのである。
 太子は、宗教における偉大な編集者であった。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのである。
 この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していった。
 『和を求めて』のサブタイトルは「日本人はなぜ平和を愛するのか」。「和」とは大和にも平和にも通じる。いま憲法改正の議論が活発だが、太子の制定した「十七条憲法」こそは平和国家・日本のシンボルである。