2017
07
株式会社サンレー

 代表取締役社長

   佐久間庸和

「『論語』を学び直そう

 そして、人の道を知ろう!」

●『はじめての論語』

 このたび、『はじめての論語しあわせに生きる知恵』(三冬社)を上梓しました。わたしの本では、初めての児童書です。
 わたしは、紀元前551年に生まれた孔子を人類史上で最も尊敬しています。ブッダやイエスも偉大ですが、孔子ほど「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」を考えた人はいないと思います。孔子とその門人の言行録が『論語』です。よく、『論語』を孔子が書いた著書だと思っている人がいますが、それは間違いです。あくまで孔子の言葉や行動を弟子たちが記録したものなのです。
 『論語』は、千数百年にわたって読み継がれてきました。意識する、しないにかかわらず、日本人の心にも大きな影響を与えてきたと言えるでしょう。

 ●誕生日に『論語』を読む

  わたしは、誕生日を迎えるごとに『論語』を読み返すことにしています。きっかけは、わたしが40歳を迎えようとしていたとき、40歳になるのにまだ何事もなしていないという焦り、さらには迷いがたくさんありました。
 「40歳といえば不惑(ふわく)であり、もう迷わない年齢のはずなのに・・・」とも思いました。「不惑」という言葉の出典は『論語』です。自分はこんなに悩み、迷っているのに、なぜ孔子は40歳にして「不惑」になるなどと言ったのかという素朴な疑問が湧きました。
 それなら原典を読んでやろうじゃないか、というわけで、『論語』を読む決意を固めました。サンレーの社長になったばかりでもあり、冠婚葬祭の根本思想である「礼」を学び直したいという考えもありました。

 ●『論語』を40回読んで「不惑」を得る

 わたしは、40歳の誕生日に40回目を読み終える計画で、40日前から1日1回、『論語』を読んだのです。高校時代以来、久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた多くの問題の答えがすべて書いてあるように思いました。
 40回も読めば内容は完全に頭に入りますので、以後は誕生日が来るごとに再読します。わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読むことになります。こうすれば、もう何も怖くないし、惑うこともないと思いました。
 何のことはありません、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。これからも、死ぬまで誕生日には『論語』を読み続けたいと思います。

 ●松柏園ホテルの「松柏」とは何か

  新館の建築が着々と進行している松柏園ホテルですが、この「松柏」という言葉も『論語』に由来します。
 「歳(とし)寒くして、然(しか)る後に松柏の彫(しぼ)むに後(おく)るることを知る。」〈子罕篇(しかんへん)〉
  「先生が言われた。気候が寒くなってから、はじめて松や柏が散らないで残ることがわかる」と訳しますが、春や夏で樹木がみな緑のときは、松や柏といった常緑樹の青さはあまり目立たない。しかし、しだいに寒くなり、他の木がすべて落葉した時節になると、はじめて松柏の輝きが目立つという意味です。転じて、人も危難のときにはじめて真価がわかると孔子は言いたかったのだと思います。
 思い起こせば、ホテルにせよ結婚式場にせよ、これまでに何度も強力なライバルが次々に出現し、そのたびに「今度こそ松柏園も終わりか」と言われてきました。しかし、そのたびに創意と工夫で危機を乗り切ってきた歴史があります。何度も絶体絶命のピンチに立たされながらも不死鳥のごとくよみがえってきました。
 松柏園は不易の常緑樹なのです!

 ●親の葬儀は「人の道」

 また、『論語』には葬儀の重要性も説かれています。孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけ、人生の最重要事と位置づけています。両親が健在の人は、自分の父母が亡くなったと想像してみるといいでしょう。当然ながら、とても悲しい気持ちになりますよね。あるいは、すでに親を亡くした経験がある人なら、どれだけ悲しいことか理解できるでしょう。
  『論語』には、次のような言葉があります。
 「曾子(そうし)の曰(い)わく、吾(わ)れ諸(こ)れを夫子(ふうし)に聞けり、孟荘子(もうそうし)の孝や、其(そ)の他は能(よ)くすべきなり。其の父の臣と父の政(まつりごと)とを改めざるは、是(こ)れ能くし難(がた)きなり。」〈子張篇(しちょうへん)〉
 亡くなった後で、「ああしてあげればよかった」「こうしてあげればよかった」と悔やむのではなく、親が健在のうちに孝行すべきなのです。

 ●親への感謝の気持ちを忘れずに!

  また、孔子は「親が他界したら3年喪に服す」ことを唱えています。弟子の宰我に対して「君子(くんし)3年礼を為さずんば、礼必らず壊れん」と断言し、さらに次のように述べます。
  「子(し)の曰わく、予(よ)の不仁(ふじん)なるや。子(こ)生まれて3年、然る後に父母の懐(ふところ)を免(まぬが)る。夫れ3年の喪(も)は天下の通喪(つうそう)なり。予や、其の父母に3年の愛あらんか。」〈陽貨篇(ようかへん)〉
 「親が死んだら、3年間は喪に服さなければいけない。なぜなら、人はだれでも生まれてから3年間、赤ん坊だったときは自分では何もできず、親に完全に庇護されて生きてきたからだ」 というわけです。
 「3年間喪に服せ」というのは、そういう気持ちをもって生活せよということであり、3年間ずっと家に閉じこもりなさいという教えではありません。それに、3年経ったら親への恩がなくなるというものでもないでしょう。いつまでも親への感謝の気持ちは忘れてはいけません。『論語』を読んで、人の道を学びましょう。

  『論語』読み見つめ直すは人の道
           松と柏は常に青々  庸軒