第7回
一条真也
「こころ」と「かたち」

 

 わたしは毎年、年末に「一条賞」というものを発表します。読書篇と映画篇の二大ジャンルでその年のベスト10をランキングにして発表するのですが、昨年の「一条賞」読書篇第1位には、森下典子氏の『日日是好日』(新潮文庫)が輝きました。
 この本には「『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」というサブタイトルがついています。著者は、お茶を習い始めて25年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けていました。失恋、父の死という深い悲しみのなかで、気がつけば、そばにいつも「お茶」がありました。

 お茶の世界は作法に厳しく、がんじがらめの決まりごとだらけですが、その向こうには「自由」がありました。「ここにいるだけでよい」という心の安息を得て、雨が降れば、その匂いを嗅ぎ、雨の一粒一粒を聴く。めぐる季節を五感で味わう歓びとともに、著者は「いま、生きている!」という感動をおぼえるのです。
 この本は現代の『茶の本』であり、かつ『水の本』という本質を持っています。雨、海、瀧、涙、湯、茶などが重要な場面で登場しますが、これらはすべて「水」からできています。地球は「水の惑星」であり、人間の大部分は水分でできています。
「水」とは「生」そのものなのです。

 水は形がなく不安定です。それを容れるものがコップです。水とコップの関係は、茶と器の関係でもあります。そして、ここが重要なのだが、水と茶は「こころ」のメタファーです。「こころ」も形がなくて不安定だからです。だから、「こころ」は「かたち」に容れる必要があります。その「かたち」には別名が存在します。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。

 そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。
 人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子供が成長するとき、子供が大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。日本人は、もっと「かたち」としての儀式の力を信じるべきではないでしょうか。