第1回
一条真也
「別れ 」

 

愛する人を亡くしたとき、人はその悲しみや喪失感にどう立ち向かってゆけばよいのでしょう。おだやかな悲しみを抱きながら、前向きに生きてゆくためのヒントをお届けします。

●愛する人を亡くすということ

 フランスには「別れは小さな死」ということわざがあります。愛する人の死は、その本人が死ぬだけでなく、あとに残された者にも小さな死のような体験をもたらすという意味です。人生は失うことの連続ですが、一番苦しい試練は、自分の死に直面することと愛する人を亡くすことでしょう。
 私が経営する冠婚葬祭会社のセレモニーホールでは、毎日のように「愛する人を亡くした人」たちにお会いします。気の毒なほど気落ちしている方、健康を害するほど悲しまれている方、故人の後を追いかねないと心配になる方...。その方々とお話するうちに、それぞれが違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づいたのです。
 ユダヤ教の教師でもある、アメリカのグリーフ・カウンセラーのE・A・グロルマンも述べています。
 親を亡くした人は、過去を失う。
 配偶者を亡くした人は、現在を失う。
 子を亡くした人は、未来を失う。
 恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
 それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、私の役割だと思うようになったのです。

●死は不幸な出来事ではない

 政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学...人類が生み、育んできた偉大な営みは、「人間を幸福にするため」という一点に集約されます。さらにはその人間の幸福について考え抜くと、その根底には「死」が厳然として存在するのです。
 その「死」を、日本では「不幸があった」と表現することが私には納得がゆきません。皆必ず死にます。「死」が不幸なら、人生は最初から負け戦なのでしょうか。愛する人は不幸なまま消えてしまったのでしょうか。そんな馬鹿な話はありません。死は決して不幸な出来事ではないのです。
 愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があるのです。次号から皆様にこの誌面上で手紙を書きたいと思います。死の真実の姿を理解していただくために。そして、あなたの亡くした愛する人の願いをお伝えするために。