第4回
一条真也
『中村久子自伝 こころの手足』中村久子著(春秋社)

 

 中村久子という人をご存知でしょうか。明治30年に生まれ、難病による両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、72年の人生をたくましく生き抜いた女性です。
 久子は、飛騨高山の貧しい畳職人の夫婦の結婚11年目に生まれた子であり、両親の愛を一身に受けます。しかし、彼女が数えで3歳のとき、「とっぱつせいだっそ突発性脱疽」という病気を患います。肉が焼け、骨が腐り、体の組織が壊れてしまうという難病でした。
 久子の治療費と集会所へのお布施で、一家は貧困を極めていきます。ある日、久子のけたたましく泣き叫ぶ声に、母が台所から駆け込んでくると、白いものが転げていました。左手首がぽっきりと包帯ごと、もげて落ちていたのです。母はあまりの驚きと悲しみのために、気を失ったといいます。
 病院に担ぎ込まれた久子は、左手首、ついで右手首、次に左足は膝かかとの中間から、右足はかかとから切断されました。
 そのうち、父が亡くなり、母も病気になる。生活苦から見世物小屋に自ら入り、「だるま娘」として23年間も好奇の眼にさらされました。それでも、彼女は自分の力で人生を好転させていきます。独学で読み書きを覚え、多くの本を読んで教養と精神性を高めました。
 久子は生きる希望を絶対に捨てませんでした。結婚や出産、そして育児までを立派にこなしました。両手両足がなくとも、料理も作り、裁縫までして生計を立てました。
 「奇跡の人」として知られるかのヘレン・ケラーが来日して、久子に初めて面会したとき、驚きと感動のあまり「私より不幸な人、そして偉大な人」と涙を流しながら言ったそうです。
 晩年は全国を講演して回り、障害者をはじめ多くの病で苦しむ人々に勇気を与え続けた中村久子。彼女は「人生に絶望なし」と強調し、日常生活においては「いのち、ありがとう」を口癖としました。
 本書は、わたしが心から尊敬する、この偉大な女性の自伝です。ぜひ、お読みください。