第23回
一条真也
『木を植えた男』

ジャンジオノ著/フレデリックバック絵/寺岡襄訳(あすなろ書房)

 社会の中で生きていくうえで、人間として最も大切なことのひとつに「陰徳」があります。陰徳を積むとは、心を貯金することです。
 「心に貯金」ではなく、「心を貯金」です。それは、わたしたちの心そのものを、つまり人間の元金を積んでいくことです。黙々と人知れず徳を積んでいくと、そのうち誰かが手伝ってくれるようになる。すると、自分が努力した以上に「徳高」が知らない間に上昇していることを感じるのです。
 南フランス、プロバンス生まれの作家ジャン・ジオノが書いた『木を植えた男』は、まさに陰徳について書かれた本です。フランスの山岳地帯に一人とどまり、何十年もの間、荒れ果てた山にドングリを埋め、木を植え続け、ついには森を甦らせたエルゼアール・ブフィェという男の物語です。
 木を植えるという仕事は単調なことの繰り返しです。誰に誉められることもなく、達成感を得ることもない。しかし、とにかくブフィェはそれを根気強くやり続けます。また、木を植える仕事は現在ではなく、未来へ向けた仕事です。なぜなら、木が育つには百年も二百年もかかるからです。つまり、自分が生きている間にはその成果を見届けることはできないのです。
 それでも、ブフィェは木を植え続けます。彼には、生きている間に成果を見ることなど関係ありません。むしろ逆に、自分が死んだ後に残っていく仕事であるからこそ、やりがいがあると思っているのかもしれません。
 『木を植えた男』の冒頭には、次のように書かれています。 「人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの世の人びとにあまねく恵みをほどこすもの。」
 誰にも誉められなくても、後世の人々のために役に立つ仕事をする。たとえ、その成果を見ることができなくとも、日々の業務に黙々と打ち込む人は真に偉大な人だと思います。