第56回
一条真也
『すべては今日から』児玉清著(新潮社)

 

 本書は、昨年5月16日に逝去した俳優の児玉清さんの遺稿集です。著者は大の読書家として知られ、本への熱き想いを綴った著書『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)はわが愛読書でした。
 本書には、基本的に著者が読んで面白いと感じた本が紹介されています。ミステリーが大好きで、英語の原書でも読んでいたほどの著者だけに、紹介されている本はどれも魅力的に描かれています。でも、やっぱりミステリーなので、ネタバレを避けるためにストーリーの核心部分には触れられていません。
 著者の本にまつわるさまざまな思い出が綴られていますが、後半では「日本、そして日本人へ」と題する数々のメッセージも収められています。特に、「マナー」や「モラル」の問題をめぐる著者の苦言あるいは提言は必読だと言えます。
  「マナー」や「モラル」はわたしの専門テーマでもありますが、著者の見識の高さと正義感の強さには心から感服します。著者は世の中の無礼者に対して、ただ愚痴をつぶやいていただけではありません。息子の北川大祐さんによれば、「ルールを守らないこと、礼儀やマナーに反することを何より嫌った父は、許せない態度に出会うと相手構わず喧嘩をしたり、容赦ない言葉を投げつけたりもした」そうです。じつは、わたし自身も何度かそんな経験をしています。それだけに、児玉さんの益荒男ぶりが目に浮かぶようです。
  「読書」と「常識」。これが本書の二大テーマであると言ってもよいでしょう。一見あまり関係がなさそうな2つのテーマですが、全国紙にも掲載された「詐欺」というコラムで見事に結びつきます。
 振り込め詐欺の被害者が絶えない現状に対し、著者は次のように述べます。
「事件や事故を解決するために直ぐに金を振り込め、直ぐに儲かるから金を出せ、こうした不自然な話に疑うこともなく乗ってしまう、素朴さというのか幼稚さは一体どこからくるのか。読書離れの激しい国の特徴的傾向と考えてしまうのは僕の偏見であろうか」
 なかなか言えるセリフではありません。でも、わたしもまったく同感です。
「すごい、児玉さん、よく言った!」と快哉を叫ぶ人も多いでしょう。何よりも読書を愛し、高い道徳性を持った著者は、真の教養人だったと思います。
 わたしの妻は生前の著者の大ファンで、著者の声が好きと言っていました。 でも、わたしは著者の考え方と生き様が好きです。いつの日か、著者のような「情熱紳士」になりたいと心から憧れています。