第79回
一条真也
『希望の格闘技』中井祐樹著(イースト・プレス)

 

 著者は伝説の格闘家です。そして、わたしが最もリスペクトする格闘家の1人でもあります。1970年北海道生まれの著者は、高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学びます。
 寝技中心の七帝戦で、4年生の時に無敵の京大の11連覇を阻止し、悲願の団体優勝を果たしました。すると著者はすぐに退学届けを提出し、佐山聡が創始したプロ修斗に参戦します。94年には、修斗ウェルター級王者となっています。
 佐山は、グレイシー一族最強のヒクソン・グレイシーを日本に招いて、日本初のノールール(バーリトゥード)の格闘技大会を開催します。著者は95年の第2回大会に「日本格闘技界の最後の切り札」として出場しますが、トーナメント1回戦の相手は「第1回UFC」で準優勝し、「喧嘩屋」の異名をとるオランダの巨漢空手家、ジェラルド・ゴルドー。
 ゴルドーが198センチ・100キロなのに対し、著者は170センチ・70キロしかありませんでした。マスコミは「危険だ」といって騒ぎましたが、激闘の末に著者は4ラウンドにヒールホールドでゴルドーに一本勝ちしました。
 しかし、この試合中にゴルドーの反則サミングを受け、右目を失明したのです。じつに凄惨な試合でした。
 ついに決勝戦でヒクソン・グレイシーと対戦しますが、1ラウンドにスリーパーホールドで一本負けを喫しました。大会後、著者は右目失明のため総合格闘技を引退し、決勝戦で対戦したヒクソンの柔術テクニックに魅せられブラジリアン柔術に専念します。
 本書を読んで思ったのは、とにかく著者が前向きというか、いわゆる「ポジティブ・シンキング」の人だということ。
 たとえば、「私の岐路」という項で、著者は次のように述べています。
  「悪口、不平や不満は言わない。何かを変えるなら、自分から動く。人のせいにはしない。ある状況を生み出しているのは、社会の一員でもある自分にもその一因があると思うからだ」
 また、「怪我したときに」の項では、次のように書いています。
  「私にとってはVTJ95での目の怪我はにわかには信じ難く、また受け入れ難いものではあったが、結果的には好機であったのだろう。私は何か大きなものに運命を変えられたのか、人生は面白い方向に転がり始めた。そう、目の怪我は自分に柔術という道を開いてくれたのだ。そう考えれば、逆境も悪くない」
 ここに、著者のポジティブ人生は極まりました。心から尊敬できる人です。