第82回
一条真也
『殉愛 原節子と小津安二郎』西村雄一郎著(新潮社)

 

 いま世間を騒がせている百田尚樹氏の問題作のレビューを読んでいるとき、同名の本書をアマゾンで知りました。
 著者は、1951年に佐賀の老舗旅館「松川屋」の長男として生まれ、早稲田大学第一文学部演劇科を卒業しています。卒業後は「キネマ旬報」のパリ駐在員などを経て、現在は佐賀県を拠点に映画評論家して活動しているそうです。『黒澤明 封印された十年』『ぶれない男 熊井啓』(ともに新潮社)などの著書があります。
 小津安二郎&原節子の二人は、日本映画界における最強コンビでした。この二人に対抗しうるコンビといえば、わずかに「黒澤明&三船敏郎」だけでしょう。
 原節子は、『晩春』『麦秋』『東京物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』という六本の小津作品に出演しています。本書の「あとがき」で、著者は次のように書いています。
 「原節子と小津安二郎の関係については、以前から書きたかった。理由は単純である。小津映画六作に登場した時の、原節子のあの官能的といっていいほどの異常な美しさは何なのだろう?と、いつも考えていたからだ。それは即ち、小津自身が原節子を愛していたからに他ならないと思った。その検証のために、この本を書いたと言ってもいい」
 本書では、原節子の人生と小津安二郎の人生がダブルで描かれます。お互いを認め合い、好意を抱いていたのは間違いありません。では、なぜ、二人生涯独身を通し、結ばれなかったのでしょうか。 
 その答えについて、著者は推測します。「原節子はファーザー・コンプレックスであり、小津安二郎はマザー・コンプレックスであった。もちろん、人間は多かれ少なかれ、この二つの要素を必ずもっている。しかし、この二人はその度合いが桁外れて大きかった」
 それに加えて、大きな理由はありました。小津は、「きれいなものはきれいなままで保存しておきたい」と願い、「近くに寄って、嫌なものを見るよりは、近づかないで、美しいイメージのなかで思いこがれていた方がいい」と思う人でした。
 一方、原節子は「自分は消極的で、生まれつき欲が少ない人間だ」と語っています。彼女は多少強引でも、自分を引っ張っていってくれる男性の方が、むしろ安心して付いていけたのかもしれません。
 こんな男女関係に遠慮がちな二人が一緒になっても、うまくいきません。そのことが重々分かっていたために、二人は一歩踏み込んだ結婚という形を避けて、尊敬し合う関係を保ったのかもしれません。これもまた、一つの愛の形です。