第83回
一条真也
『あなたに褒められたくて』 高倉健著(集英社文庫)

 

 昨年11月10日未明に俳優の高倉健さんがお亡くなりになられました。その後ずっと「健さんブーム」が続いている観がありますが、本書は健さんがさまざまな素敵な体験を綴った初エッセイです。
 『あなたに褒められたくて』という本書のタイトルのミソは、「あなた」が誰かということです。それを明かすのは一種のネタバレかもしれませんが、本書の単行本が1991年に刊行され、93年には早くも文庫化されていることを考えれば、もう時効でしょう。ずばり、「あなた」とは著者の母親のことなのです。
 この母が亡くなったとき、著者は告別式に行かなかったそうです。「あ・うん」の大事なシーンを撮影しているときだったからです。
しかし、「葬式に出られなかったことって、この悲しみは深いんです」と著者は書いています。以下のくだりは、最愛の母を失った著者の深い悲しみがよく表現されています。
 「実家へ行く途中、菩提寺の前で、車を停めてもらって、母のお墓に対面しました。母の前で、じーっとうずくまっているとね、子供のころのことが、走馬灯のようにグルグル駆けめぐって・・・・・・。寒い風に吹かれて、遊んで帰ると膝や股が象の皮みたいになってて、それで、風呂に入れられて、たわしでゴシゴシ洗ってくれたのが痛かった。そのときの母のオッパイがやわらかかったこととか、踵にあかぎれができると、温めた火箸の先に、なにか、黒い薬をジューッとつけて、割れ目に塗ってくれた。トイレで抱えてもらって、シートートー、とオシッコさせてくれたり、反抗して、シャーッと引っかけたり。なにか、そんなことばかりが頭の中にうず巻いて」
 そして、「あなたに褒められたくて」の最後には、こう書かれています。
 「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました」
人間にとって、褒めてくれる人がいるといないとでは大違いです。褒めてくれる人の存在は、ベストを尽くして頑張る活力の源だからです。わが子を励まし、褒めてくれる人の存在がどんなに大きいか。それは、わたし自身が日々痛感しています。
 母の無償の愛に感謝しながら、83年の生涯を全うされた著者は、きっと天国で母上と再会されたことと思います。
 そして、大好きなお母さんから「あなた、よく頑張ったわね」と褒めてもらったことでしょう。健さん、お疲れさま!