23
一条真也
「大いなる『礼』を描いた映画『海難1890』」

 

 こんにちは、一条真也です。
 師走のあわただしい中、全国公開中の日本・トルコ合作映画『海難1890』を観ました。日本とトルコの長年にわたる友好関係をテーマにしたドラマですが、非常に感動しました。

■トルコから日本への95年後の恩返し

 1890年、のちのトルコであるオスマン帝国の親善使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で座礁して大破しました。海に投げ出された乗組員500人以上が暴風雨で命を落とすという悲惨な海難事故でしたが、元紀州藩士の医師・田村元貞(内野聖陽)やその助手を務めるハル(忽那汐里)をはじめとした地元住民が懸命の救援活動に乗り出します。
 それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争中のテヘランに多くの日本人が取り残されました。日本政府は危機的状況を理由に在イラン日本人の救出を断念します。そんな中、トルコ政府は日本人のために救援機を飛ばしてくれたのでした。彼らは95年前に日本人から受けた恩を忘れていなかったのです。
 1890年の「エルトゥールル号海難事故」と95年後の「テヘラン邦人救出劇」とが善意の鎖で繋(つな)がっていたことは知っていましたが、今こうやって2つの出来事の詳細を知り、湧き上がる感動を押さえることができません。『海難1890』を観て、わたしは孟子を連想しました。孔子の思想を継承し、発展させた孟子は「性善説」で知られ、人間誰しも憐(あわ)れみの心を持っていると述べました。
 孟子は言います。幼い子供がヨチヨチと井戸に近づいていくのを見かけたとする。誰でもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思う。それは別に、子供を救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。周囲の人にほめてもらうためでもない。また、救わなければ非難されることが怖いためでもない。してみると、かわいそうだと思う心は、人間誰しも備えているものだ。さらに、悪を恥じ憎む心、譲り合いの心、善悪を判断する心も、人間なら誰にも備わっている。
 かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は「義」の芽生えである。譲り合いの心は「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は「智」の芽生えである。人間は生まれながら手足を4本持っているように、この4つの心を備えているのだ、と。
見たこともない異国の兵士たちの命を救った樫野の村民たちの心には「仁」「義」「礼」「智」が備わっていたのです。

■『マッチ売りの少女』の2つメッセージ

 また、もうすぐクリスマスです。この季節にふさわしい物語といえば、何といってもアンデルセンの『マッチ売りの少女』ですが、この名作も連想しました。このあまりにも有名な短い童話には2つのメッセージが込められています。
 1つは、「マッチはいかがですか? マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第1のメッセージでしょう。
 そして、第2のメッセージは、少女の亡骸(なきがら)を弔ってあげなければならないということ。行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。死者を弔うことは人として当然です。このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」なのです。
 『海難1890』には、その人類普遍の「人の道」が見事に描かれていました。内野聖陽が熱演した医師・田村の「どこのもんでも、かまん! 助けなあかんのや!」というセリフは「義を見てせざるは勇なきなり」ということであり、人間尊重精神としての「礼」そのものでもあります。
 この映画、貧しい住民たちが500体以上の遺体のすべてに棺桶(かんおけ)を用意しようとしたり、自分たちの生活に必要な漁を休んででも遺体の回収に努めたりと、死者に対する「礼」の心に溢(あふ)れていました。それに深く感謝したエルトゥールル号のムスタファ大尉は住民たちに対して深々と礼をします。それに対して、住民たちも姿勢を正して返礼をする。この場面をみて、わたしは泣けて仕方がありませんでした。たとえ、言葉が通じなくとも、敬礼やお辞儀という「かたち」によって「こころ」は通じるのです。『海難1890』ほどに「礼」の素晴らしさを描いた映画をわたしは知りません。
 暴力の時代が何度目かの幕を開けた今、すべての日本人、いや全人類にこの映画をみてほしいと思います。人類は無慈悲に他国民や異教徒を殺す愚かな存在でもありますが、一方で、慈悲をもって他国民や異教徒を助ける存在でもあります。さらに言えば、この映画には「完璧な礼」が描かれています。というのも、礼は一方的に示されるだけでは不完全であり、返礼を受けて初めて完成するのです。ですから、日本人が示した「礼」を95年後にトルコ人が返したことによって、国境を越えた大いなる「礼」が実現したのでした。