02
一条真也
「『日本人とは何か』を求めて」

 

 こんにちは、一条真也です。

 みなさんは、この正月をどのように過ごされましたか?

 わたしは、元日の早朝、九州最北端の神社である北九州市門司の「皇産霊(みむすび)神社」で初詣をしました。雪のため、初日の出を拝むことはできませんでしたが...。

 わたしたち日本人にとって、正月に初日の出を拝んだり、有名な神社仏閣に初詣に行ったりするのは当たり前の光景ですね。しかし、これらの行事は日本の古くからの伝統だと思われがちですが、実のところ、初日の出も初詣でも、いずれも明治以降に形成された、「新たな国民行事」と呼べるものです。

 それ以前の正月は、家族とともに「年神」(歳徳神)を迎えるため、家の中に慎み籠(こも)って、これを静かに待つ日でした。日本民俗学では、この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされています。

 本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀(さいし)の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても容易に理解できるでしょう。つまり、正月とは死者のための祭りなのです。日本の場合、仏教の深い関与で、盆が死者を祀(まつ)る日として凶礼化する一方、それとの対照で、正月が極端に「めでたさ」の追求される吉礼に変化しました。これは、「日本民俗学の父」である柳田國男の説です。

 昨年11月、わたしは東京の渋谷にある国学院大学で、「終活を考える」という特別講義を行いました。一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会および互助会保証株式会社の共催によるオープンカレッジ特別講座「豊かに生きる-人生儀礼の世界-」の最終回でした。冒頭、わたしは「今日は国学院大学の教壇に立つことができて、感無量です」と述べ、国学院とのご縁を話しました。    

 わたしの父であるサンレーグループの佐久間進会長が国学院の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、ともに国学院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田國男と折口信夫の2人も一回り違う亥年でした。


■アイデンティティーの追求


 佐久間会長が国学院で日本民俗学を学び、そのまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことには運命的なものを感じます。

 わたし自身は、佐久間会長から思想と事業を受け継いでおり、幼少のころから日本民俗学の香りに触れてきました。

 「国学院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問です。

 江戸時代に契沖・荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤らが現れ、『古事記』『万葉集』をはじめとする日本の古典について深く研究しました。

 国学者たちは古典の研究を通して「日本および日本人」を研究したのです。

 特に本居宣長は、神代から伝わる神の御心のままで人為を加えない日本固有の道としての「惟神(かむながら)の道」を求めました。生涯に一万首の歌を詠み、日本的な美的感性としての「もののあはれ」を論じたことでも有名です。

 また、近年になって再評価の著しい平田篤胤は、天狗(てんぐ)のもとで5年間修行してきたという「仙童」寅吉や、前世の記憶を鮮明に覚えている「生まれ変わり少年」の勝五郎、江戸時代の「妖怪大戦争」である『稲生物怪録』といった超常現象や怪奇現象を真面目に研究した希代のスピリチュアリストでした。それと同時に、篤胤は夢の中で本居宣長に弟子入りするほどの宣長の信奉者であり、彼の国学は復古神道の流れを継いだ「平田国学」として幕末における尊王攘夷の志士たちの思想的拠(よ)り所とされました。

 「日本人とは何か」を追求するという国学の志を受け継いだのが、「新国学」とも呼ばれた日本民俗学です。

 柳田國男をパイオニアとする日本民俗学は、ヨーロッパのフォークロアや歴史学や民族学などとともに、国学をその祖先の一つとしました。江戸時代における国学は「私たちはどうしてここにあるのか」という日本人のアイデンティティーを求めるべく『古事記』をはじめとした古典研究を続けていきました。一方で、明治以降の西洋の文物や思想の流入、そして変化する生活を前にして、やはり日本人のアイデンティティーを求めていったのです。

 柳田國男と並ぶ日本民俗学の巨人が折口信夫です。

 柳田は『遠野物語』のような民間伝承から日本人の生活文化全体を研究し、最後は『海上の道』で日本人のルーツを追いました。 

 折口は、本居宣長と同じく歌人でもあり、古代的世界にその心を置きながら「マレビト」「常世」「神の嫁」など、独自の用語を駆使しながら独特な学問世界を切り開きました。

 わたしは「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などの言葉が登場してしまった現在、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要であると思います。敗戦の色濃い昭和20年の春、柳田は敗戦によって日本人の血縁や地縁が崩壊し、戦争で死にゆく若者たちを誰も供養しなくなるのではないかと危惧しつつ、名著『先祖の話』を書きました。その70年後、日本は柳田が危惧した通りの社会になっています。


■冠婚葬祭で人を幸せに


 わたしは現在、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長を務めています。そして、わたしは冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることだと考えます。いわば、日本人を初期設定に戻すことが必要ではないかと思うのです。

 結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や盆に代表される「年中行事」...これらの文化の中には、「日本人とは何か」という問いの答えが詰まっています。

 例えば、結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などの「民族的よりどころ」というべきものが反映しているからです。

 日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。儀式なくして文化はありえず、その意味で儀式とは「文化の核」なのです。結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。『古事記』に描かれたイザナギ、イザナミの巡り会いに代表される陰陽両儀式のパターンが後醍醐天皇の室町期以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきたのです。 

 儀式という「文化の核」には、その民族を幸福にする力があります。

 わたしは、冠婚葬祭で日本人を幸せにしたいと願っています。