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一条真也
「なぜ、いま、墓じたくなのか?」

 

 先日、「日経おとなのOFF」がお墓の特集を組み、わたしも誌面に登場しました。わたしのページは「『家』の墓から『個人』の墓へ 親と自分の墓じたく」というタイトルでした。お墓を継ぐ人が減り、お墓の在り方が大きく変化しています。これからの「お墓」の問題と正面から向き合う内容で、なかなか好評でした。

 「自分のお墓をどうするか」と考えるようになったのは、ここ数年のことです。
 いま、お墓の選択肢の数は非常に増えました。数年前なら、「自分が死んだら先祖のお墓へ入る」ということに疑問の余地はありませんでした。強いていうなら、次男、三男が自分の代で新しいお墓を建てるということが問題でした。その流れでいえば、少子化により、次男、三男がいなければ、お墓の需要は少なくなるはずです。でも実際は墓不足です。新しい霊園が売り出されればすぐに完売してしまいます。

 なぜでしょうか。それはお墓が「家墓」から「個人墓」に変化しているからにほかなりません。つまりお墓が「家」のものから、「個人」のものに変容してきているからです。かつてはお墓の中に、いくつもの遺骨が入っているのは当たり前でした。長男の嫁であれば、死んだら嫁ぎ先の墓に入ることに誰も疑問をもちませんでした。しかし、今はどうでしょうか。「死んでからも、夫と同じお墓にはいたくない」という女性が増えています。

 また長男といえども、先祖のお墓ではなく自分らしいお墓に入りたいと願う人もいます。お墓も大家族型から、核家族化してきたということです。ここには少子高齢化や無縁社会の問題も含まれています。どういうことかといえば、墓守がいないということです。たとえば一人っ子同士が結婚すれば、お互いの墓を夫婦で世話をすることになりますし、子どもがいなければそもそも継承者がいません。

 非婚という問題もあります。先ほどの嫁ぎ先の墓には入りたくないという問題も含み、女性の意識の変化も「お墓じたく」には影響してきます。また、団塊の世代を中心とした、価値観の変化も見逃せません。「葬式は、要らない」という価値観が「墓は、つくらない」という選択へとつながってきています。

 お墓の選択も多様化しています。永代供養墓や自然葬(樹木葬・海洋散骨)への関心が高くなっています。自分らしさを発揮しようとしているわけですが、これはわたしが経営する冠婚葬祭会社がお世話をさせていただく葬儀のお客様でも同じです。

 たとえば、新しくお墓をつくる場合、やはり自分らしいお墓を求める傾向が強くなっています。画一化された墓石というものではなく、自分の趣味を反映したデザインなどがその典型ではないでしょうか。それはお墓が「家」のものではなく、「個」のものになりつつあるということのあらわれといえます。自分だけのお墓、すなわち「個人墓」ということです。

 自分自身が、自分のためにつくるお墓――は生前に契約し、自分自身のデザインによるユニークなお墓になります。これまでにあった「○○家代々の墓」ではないわけで、ご先祖さまには関係しません。ゆえに自由に「お墓じたく」をできますが、後々、誰もお墓まいりに来ない可能性もあります。ということは、いずれこのお墓は無縁墓になる可能性があります。

 個人墓と同じように、夫婦で入る「夫婦墓」というものも増えています。女性の社会的価値が高まってはいますが、お墓に関していえば、まだまだ男性社会といえます。女性で自分の墓「個人墓」をつくられる方は少ないのではないでしょうか。そうなると選択肢としては、夫婦で入る「夫婦墓」ということになります。

 ただ、女性の意識の変化もあります。「夫と同じお墓に入りたくない」「家の縛りから死んだ後は解放されたい」「自分らしいお墓で眠りたい」ということです。たとえば友人同士で同じお墓に入りたいという欲求です。また未婚の女性も増えています。子どもがいる、いないにかかわらず、「自分の永遠(とわ)の棲処(すみか)は自分で!」ということから、「墓じたく」を考えている女性が増えているのです。

 また、「墓友」といった言葉もあります。同性の友人同士で、同じお墓に入ろうという人たちです。先祖代々の血縁ではなく、同じ価値観をもった仲間とお墓に入りたい――これもお墓への新しい意識ではないでしょうか。

 家族の一員としてペットも一緒に同じお墓に入れたい、そんな方もいます。お墓を取り巻く環境は、ここ数年で大きく変化しているといえます。「墓じたく」はこうだ、とひと言ではいえない時代だということです。

 墓じまい・墓じたくの際には、家族ときちんと話し合うことが大切です。これはビジネスにおけるホウレンソウと同じで、基本は「報告・連絡・相談」なのです。コミュニケーションで重要なことは、「何を伝えたか」ではなく「何が伝わったか」ですが、葬儀、お仏壇、お墓も同様です。言葉にしなければ相手が考えていることは「推測」するしかありません。大事なことは自分から主体的に親、子ども、配偶者に話しかけることなのです。