第116回
一条真也
『銀河鉄道の父』門井慶喜著(講談社)

 

 『銀河鉄道の夜』をはじめ、多くの名作童話を残した宮沢賢治。最愛の妹トシとの死別など、短いながらも紆余曲折に満ちた賢治の生涯を、父の視点から描いた小説です。
 著者は1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年、オール讀物推理小説新人賞を「キッドナッパーズ」で受賞しデビューしています。
 明治29年(1896年)、岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年(1933年)に亡くなるまで、主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作しました。そんな賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋でした。長男だった彼は本来なら家業の質屋を継ぐ立場でしたが、学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けました。
 賢治の父・政次郎は地元の名士であり、かつ熱心な浄土真宗信者でもありました。 おのれの信念とは異なる信仰へ目覚めた息子と対立しながらも、息子への援助を惜しみませんでした。その援助があったからこそ、賢治は童話が書けたのです。
 本書を読むと、対立を続けていた父子がじつは「似た者同士」であり、政次郎こそは賢治という天才の最大の理解者であったことがよくわかります。
 本書を読んで、わたしは賢治とその父の姿を、わたしと父の姿に自然と重ねていました。わたしも父と意見が対立することが多々ありました。わたしは「天下布礼」をスローガンに、会社経営と作家業を両立させていますが、わたしがあまりにも精力的に本を出すので、やはり親としては心配するのでしょう。
 執筆活動の他にも、わたしは大学の客員教授として教壇に立ったり、老人会などで講演させていただいたりしています。それらはすべて「人間尊重」という思想を世の中に広める「天下布礼」の活動であり、副業などではありません。そして、じつはわが志は、他でもない父から受け継いだものです。その意味で、わたしの最大の理解者は父であると思っています。父には深く感謝しています。
 吉田松陰は「親思うこころにまさる親ごころ 今日の おとづれ何と聞くらん」という辞世の歌を詠みました。わたしは本書を読み終えた後、この歌の意味を、いま、しみじみと噛みしめています。
 あと、息子というものはやはり父親から認められたい、褒められたいという思いがあります。賢治が亡くなるとき、父は「えらいやつだ、お前は」と言いました。
 もし、わたしが父よりも先に逝くようなことになった場合は、父から同じことを言われたいものだと思いました。