第117回
一条真也
『昭和と師弟愛』小松政夫著(KADOKAWA)

 

 「植木等と歩いた43年」というサブタイトルがついています。NHKオンデマンドで観たドラマ「植木等とのぼせもん」で、著者が植木等の付き人だったことを知りました。
 75歳を迎えた著者が、テレビ黎明期のきらびやかな芸能界の話を交えつつ、植木等との43年間の師弟関係を語っています。
 著者は1942年生まれ。植木等の付き人を経て日本テレビ系列の「シャボン玉ホリデー」でデビュー。1960年代にはクレージーキャッツとの共演などで、テレビ歌謡バラエティ全盛期に活躍。その後も伊東四朗との掛け合いによるコント系バラエティなどで、コメディアンとしての一時代を築きました。
 役者を志し、故郷の博多から19歳で上京した著者は、22歳のとき、当時すでにスーパースターだった植木等の運転手兼付き人となります。実の父を13歳のときに亡くした著者は、師である植木等を「親父さん」と呼びます。両者は本物の親子のように心を通わせるのでした。著者は述べます。
 「人間、25歳までに知り合った人、経験したこと、学んだことが人生を決めるんだそうです。僕は、22歳で植木等さんの付き人兼運転手となり、26歳でひとり立ちして、タレントとして正式にデビューしました。植木等さんのもとにいた3年10ヵ月はかけがえのない日々です。月謝を払って学校で演劇を勉強するより、ずっと多くのことを深く学んだと思っています」
 「親父さん」こと植木等に芸能人としての気構えを学んだ著者は、お笑いタレントとしてデビューし、人気者になります。伊東四朗とともに出演したテレビ朝日「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」の「悪ガキ一家と鬼かあちゃん」のコーナーにおいて、「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」が大ヒットとなりました。
 その笑いは、その後、フジテレビの「オレたちひょうきん族」につながったとされています。同番組の横澤プロデューサーもはっきりと「影響を受けた」と述べており、著者の活躍が「マンザイブーム」につながったことを明らかにしています。
 著者にとって、植木等とは何だったのか。以下のように述べています。
 「僕にとって親父さんは闇夜に輝き、行き先を示してくれる灯、足元を照らしてくれる灯のようなありがたい存在です。そんな親父さんがいたから僕は、つねに前進することができたんです。そしてつねに前進するという意識をもって取り組む中で、節目節目、テレビドラマ、映画、舞台で、いい人と出会えて、いい仕事に巡り合えました」
 あらゆる人間関係を考える上で、本書から学ぶことは非常に多いと思いました。