第124回
一条真也
『いざなうもの』 谷口ジロー著(小学館)

 

 昨年逝去した漫画家の未発表絶筆『いざなうもの 花火』(原作:内田百閒)を含む近作の作品集です。いずれも単行本初収録です。
 わたしは著者の漫画の大ファンで、『「坊ちゃん」の時代』をはじめ、『歩くひと』『犬を飼う』『父の暦』『遥かな町へ』などの名作を何度も読み返しました。テレビドラマ化もされた『孤独のグルメ』も愛読書の1つです。
 わたしは東京出張したとき、いつも羽田空港からモノレールに乗ります。終点の浜松町駅で降りると、駅ビルの中の大型書店を通り抜けるのですが、本書はその書店のレジ横のワゴンに積まれていました。クリーム色の表紙カバーと「谷口ジロー」の文字が見えました。わたしの心は騒ぎましたが、急いでいたので無視しようとしました。
 しかし、数メートル歩いたところで「いや、今あれを買わないと絶対に後悔する」と思い直し、レジまで戻って列に並び直して本書を求めたのでした。まさに、本書は書名のとおりに「いざなうもの」だったのです。
 その日のうちに一気に読みましたが、まずは最初に収録されている『何処にか』という短編の魅力の虜となりました。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が登場する作品です。著者が描く八雲は『「坊ちゃん」の時代』シリーズの夏目漱石や森鷗外や石川啄木に劣らぬ存在感を示しています。
 本書の最後に『いざなうもの 花火』も収録されていますが、最初は完成された漫画作品なのですが、次第にラフ画のようになってきて、最後は絶筆で終わっています。このようにリアルな「人生の終わり」をそのままページの上に再現した本というのは珍しいです。
 『何処にか』と『いざなうもの 花火』の間にあるのが『魔法の山』。病気の母親の命を救うために、幼い兄と妹が大冒険するというファンタジーです。母を想う子の心には、どうしても泣かされます。ジブリアニメの「となりのトトロ」にも通じる物語です。
 この三作には、いずれも血縁への郷愁のような感情が描かれています。著者の漫画を読んで、懐かしい思いがするのは、幼少の頃の両親の愛情が甦ってくるからかもしれません。
 最後には、著者の直筆で「たったひとりでもいい。本が何度も、何度でも、本がボロボロになるまで読まれるマンガを描きたい。あきることなく何度も開いて絵を見てくれるマンガを描きたい。それが私のたったひとつの小さな望み」という文章が書かれています。
 この遺書のような著者の言葉を読んで、わたしは深い感銘を受けました。「漫画の神様」と呼ばれた手塚治虫をはじめ、命の灯が燃え尽きるまで描き続けた作家は何人かいますが、著者もその一人だったのです。