第128回
一条真也
『やめるときも、すこやかなるときも』窪美澄著(集英社)
 本書は、わたしにとってのメインテーマである「供養」「グリーフケア」「婚活」がすべて込められた奇跡のような小説でした。
 著者は1965年東京生まれ。フリーの編集ライターを経て、2009年に「ミクマリ」で女による女のためのR18文学賞大賞を受賞。受賞作を所収したデビュー作『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞を受賞。2012年には『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。近著に『さよなら、ニルヴァーナ』『アカガミ』『すみなれたからだで』など。
 本書の帯には「切なく不器用な恋の物語」として、「大切な人の死を忘れられない男と、恋の仕方を知らない女。他者と共に生きることの温かみに触れる長編小説」とあります。
 家具職人の壱晴は毎年12月の数日間、声が出なくなります。過去のトラウマによるものですが、原因は隠して生きてきました。
 一方、印刷会社勤務の桜子は困窮する実家を経済的に支えていて、恋と縁遠い独身女性です。欠けた心を抱えながら不器用に生きる男女が出会う恋愛小説です。
 トラウマを背負った男性と恋愛に奥手な女性の恋というストーリーですが、正直言って、恋愛小説としての新鮮さは感じませんでした。しかし、視点が一方からだけでなく、男女の思いが交互に時系列で描かれるので、単純な恋愛小説には終わっていません。
 文章の中に散りばめられた言葉から「人が人を愛すること」「愛する人を亡くすこと」「そこからまた前を向いて生きて行くこと」の本質が説かれています。
 亡き恋人である真織のことを忘れられない壱晴は「その人が目の前にはいないのにその人のことを思い出して記憶を反芻する行為は、もうすでにその人が自分のどこかに住み着いてしまったことと同じなんじゃないだろうか」などと思います。しかし、新たに出会った桜子も彼の心に住み着くようになります。
 そんな壱晴は、真織を失った「あの場所」へ桜子とともに戻り、墓参りをし、真織の生家まで訪れるのですが、それは彼が背負った重い荷物の半分を桜子に背負わせることでした。そんな壱晴に対して強い反発を抱きながらも、桜子の心は次のように動くのでした。
「そのとき供養という言葉がふいに浮かんだ。そうか、墓参りをして、真織さんが過ごした家を見て、そして触れて、壱晴さんは今供養をしているんだと思ったら、この旅の意味が自分のなかにすとんと落ちた気がした」
 この一文を読んだとき、わたしは「供養」と「グリーフケア」と「結婚」の意味を改めて知ったような気がしました。これから結婚をしたいと考えているすべての独身女性に本書を推薦いたします。