2020
5
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

経済よりも社会が大事

   日本で葬儀崩壊を起こすな!

●緊急事態宣言の休業業種
 新型コロナウイルスの猛威が衰えを見せません。感染拡大による緊急事態宣言は7都府県から全国へと拡大されましたが、そこで休業業種の選別が行われました。
 幸いなことに、わが「冠婚葬祭業」は「緊急事態宣言時に事業の継続が求められる事業」にリストアップされました。わたしは日頃から、冠婚葬祭業は「こころのインフラ」産業であり、「社会のインフラ」産業でもあると考えていましたが、それが間違っていなかったことが証明されたように思います。身の引き締まる思いで、社員一同、心からのサービスに努めていきたいと思います。
 それにしても、これほど業種の意義や重要性が問われたのは、初めてのことではないでしょうか。例の民主党による「事業仕分け」や東日本大震災発生直後よりも、さらに「この仕事は必要か?」ということが問われているように思います。もちろん、社会に必要なことが明白であるにも関わらず、感染拡大を防ぐために大学から幼稚園までの教育機関が休業するケースなどもありますが。

●社会と経済はどちらが優先する?
 休業業種を選定する上で、国は当初、広範囲の休業に消極的でした。その様子を見ながら、わたしは、いま、「社会と経済はどちらが優先するのか」ということが問われているように思いました。
 もちろん、わたしも経済の重要性は誰よりもわかっているつもりです。実際、このたびの感染拡大の影響で、わが社の冠婚部門の売上と利益は大幅にダウンすることが確実です。葬祭部門だって、このまま参列者数が減少し続ければ、売上も利益もダウンすることが想定されます。それでも、企業の業績よりも大切なことがあると思います。
 それは、わが社のお客様や社員のみなさんが感染しないように細心の注意を払うこと。すなわち、経済よりも社会が大事なのです。その上で、わたしは、国は経済的打撃を受けている事業者への「補償」をしっかり行うべきであると考えています。

●経済よりも社会のほうが重要
 最近、わたしがリスペクトしてやまない経営学者ピーター・ドラッカーの遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)を再読しました。同書のメッセージは、「経済よりも社会のほうが重大な意味を持つ」ということです。
 同書の冒頭で日本の読者に対して、ドラッカーは「日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである」と呼びかけています。
 90年代の半ばから、ドラッカーは、急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであることに気づいたそうです。
 IT革命はその要因の1つにすぎず、人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因でした。IT革命は、世紀を越えて続いてきた流れの1つの頂点にすぎませんでしたが、若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものでした。

●医療崩壊→葬儀崩壊
 IT革命の他にも、雇用の変容、製造業のジレンマ、ビジネスモデルの多様化、コーポレートガバナンスとマネジメントの変貌、起業家精神の高揚、人の主役化、金融サービス業の危機とチャンス、政府の役割の変化、NPOへの期待の増大など、さまざまな逆転現象が起こっています。それらすべての変化への対応が、今回の緊急事態宣言では求められているのです。
 そんな中で、葬儀という人類普遍の文化も大きな変化に直面しています。新型コロナウイルスの感染が急速に広がった南米エクアドルでは、遺体がビニールにくるまれただけの状態で歩道に放置されていると、ロイターが報じました。大統領は当局による遺体の取り扱いについて調査を行う考えを示しましたが、遺族からは怒りの声が上がっているそうです。
 わたしは、新型コロナウイルスの感染拡大による「医療崩壊」の次は、葬儀を行う体制が崩壊する「葬儀崩壊」が起こるのではないかと心配しているのですが、エクアドルではそれが現実になったようです。

●今に合った葬送の「かたち」を
 現在、医療崩壊を招いた国では助けられたはずの人が次々と亡くなっています。 その数は火葬場が足りなくなるほどで、イタリアにおける教会、スペインにおけるアイスアリーナ、ニューヨークにおけるビル街などの場所に臨時の遺体安置所が続々と設置されました。
 仏教史学者の松尾剛次氏によれば、日本の中世には街に遺体が転がっているようなことが度々起こりました。
 そうした死者と遺族のために読経することが僧侶の重要な働きとなり、それが葬式仏教につながったのです。
 葬式仏教が根付いた日本でも、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。
 3月29日、日本を代表するコメディアンであった志村けんさんが70歳で亡くなられましたが、ご遺族がご遺体に一切会えないまま荼毘に付されました。
 新型コロナウイルスに感染した方は最期に家族にも会えず、亡くなった後も葬儀を開いてもらえないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。
 さらに、肺炎で亡くなった方の中には新型コロナウイルスかと疑われる方もいらっしゃいますので、参列を断ったり、儀式を簡素化するケースも増えてきています。
 これから、日本人の供養はどうなっていくのか。わたしたちは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアの具体的方法を考えなければなりません。

 感染の広まる世にて亡くなりし
    人を送らむ術(すべ)を求めん  庸軒