2020
7
株式会社サンレー

 代表取締役社長

  佐久間庸和

コロナの時代を生きる

   絶対に忘れてはならないこと

●コロナとともに生きる
 7月になりました。本来なら今月から東京五輪が開催されるはずだったと思うと、信じられない思いでいっぱいです。新型コロナウイルスの感染拡大もピークを過ぎたようで、全国各地で日常を取り戻しつつあります。
 もちろん、第2波の到来に備えなければならず、油断は禁物ですが、とりあえず1つの区切りはついたように感じます。わが社の冠婚部門や営業部門のスタッフのみなさんは緊急事態宣言のあいだ、力を発揮することができませんでした。これからは、少しずつ本来の活動を再開していっていただければと思います。
 とにかく、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は想定外の事件でした。わたしを含めて、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができました。
 個人としては読書や執筆に時間が割けるので外出自粛はまったく苦ではありませんでしたが、冠婚葬祭業の会社を経営する者としては苦労が絶えませんでした。

●『コロナの時代の僕ら』
 もっとも、コロナとの付き合いはまだ終わってはいません。緊急事態宣言の最中、わたしはイタリアの小説家パオロ・ジョルダーノが書いた『コロナの時代の僕ら』という本を読みました。同書には、著者がイタリアの新聞「コリエーレ・デッラ・セーレ」紙に寄稿した27のエッセイが掲載されています。
 著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、まことに心を打つ文章です。
「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを。僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを」

●わたしが忘れたくないこと
 わたしは、この文章を読んで、大変感動しました。そして、自分なりに、今回のパンデミックを振り返りました。
 わたしは忘れたくありません。今回のパンデミックで卒業式や入学式という、人生で唯一のセレモニーを経験できなかった学生がいたことを。わたしは忘れたくありません。今回のパンデミックで多くの新入社員たちが入社式を行えなかったことを。そして、わが社では北九州の新入社員のみに辞令交付式を行ったことを。
 わたしは忘れたくありません。緊急事態宣言の中、決死の覚悟で東京や神戸や金沢に出張したことを。沖縄には行けなかったことを。いつも飛行機や新幹線は信じられないくらいに人がいなかったことを。
 わたしは忘れたくありません。楽しみにしていた結婚式をどうしても延期しなければならなかった新郎新婦の落胆した表情を。わたしは忘れたくありません。新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方々の通夜も告別式も行えなかったことを。故人の最期の瞬間にも会えず、遺体にも会えなかった遺族の方々の涙を。
 そして、わたしは忘れたくありません。外出自粛が続く毎日の中で、これまでの人生で最も家族との時間が持てたことを。

●2つの「人の道」
 『コロナの時代の僕ら』の最後には、「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書かれています。
 これを読んで、わたしはアンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想しました。この短い物語には2つのメッセージが込められています。1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第1のメッセージでしょう。
 第2のメッセージは、少女の亡骸を弔ってあげなければならないということ。行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。死者を弔うことは人として当然です。このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」なのです。

●「人間尊重」は不滅である!
 わたしは今回、感染症についての本を読み漁りましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬がおろそかになりますが、その引け目や罪悪感もあって、感染症が終息した後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。
 人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。
 コロナ禍の中でも、手取、遠賀、柳橋......わが社の紫雲閣は次々にオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、儀式文化を基軸とした「人間尊重」というわが社のミッションは永久に不滅です。一緒に力を合わせて、心ゆたかな社会を創造しましょう!

 忘るるな 人を助けて亡くなりし
       人を弔ふコロナの学び  庸軒