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一条真也
「古代エジプト人の『死』の文化に学ぶ」

 

 こんにちは、一条真也です。34回にわたってお届けした「一条真也のハートフル・ライフ」も今回で最終回となります。
 最近、クフ王の大ピラミッドから隠し部屋と思われる巨大空間が発見され、古代エジプトが熱い注目を浴びています。そんな中、とても興味深い本を読みました。『古代エジプト 死者からの声』大城道則著(河出書房新社)、「ナイルに培われたその死生観」というサブタイトルがついています。
 著者の大城氏は1968年兵庫県生まれ。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学を専攻し、修了。現在は駒澤大学文学部の教授で、専攻は古代エジプト史です。著書に『ピラミッド以前の古代エジプト文明』『ピラミッドへの道』『古代エジプト文明』『ツタンカーメン』などがあります。
 古代エジプトといえば、ミイラ、ピラミッド、極彩色に彩られた壁画や巨大な石造りの神殿など、そこにはどこまでも「死」のイメージがついて回ります。古代エジプトは大いなる「死」の文化が栄えていました。
 万人に必ず訪れる「死」を古代エジプト人たちはどのように考え、どのように受け入れていたのでしょうか。同じ多神教の国である日本をはじめとするほかの文化・文明との比較によって、大城氏は古代エジプトの死生観・来世観の独創性を浮かび上がらせています。
 最も興味深かったのは、古代エジプトには「死者への手紙」という風習があったことです。『古代エジプト 死者からの声』のプロローグには以下のように書かれています。
「古代エジプト人たちの感覚として、この世で生きている者とあの世で生きている者(死した人物)との間には障壁はなかったのだ。手紙のやり取りさえできたのである。このようないわゆる『死者への手紙』と呼ばれる遺物は、古代エジプト人たちの墓から出土し、現時点で十数例が知られている」
 この死者へ手紙を送るという古代エジプト人たちの行為は、なんと千数百年にわたってエジプトの伝統として継続されたそうです。古代エジプト人たちは、この世だけでなくあの世でも生きたのです。
 また『古代エジプト 死者からの声』のあとがきでは、古代エジプト人たちにとって「死」は「終わり」ではなく、この世でできなかったことはあの世でやれば良いと考えていたと述べられています。彼らの素晴らしい感性こそが、愛する者を失った悲しみを最大限軽減する機能を果たしたと指摘します。
 さらに以下のようにも述べています。
「それでもやはり古代エジプト人たちは墓を造った。彼らは墓を造ることに何らかの意味を見出していたのだ。古代エジプト人のみならず、我々現代人も大部分の人々がやはり墓を造る(水葬や空葬など墓を必要としない葬送方法もあるが)。なぜ人は墓を造り、そこに埋葬されることを願うのであろうか。遺体を人的・自然的破壊から守るという意味がまず想定されるが、墓の存在自体が目立ってしまえば、それが逆効果であることは、エジプトの王家の谷や日本の古墳の盗掘状況からも明らかである。では、『目立つ』ということ自体に本来の意味があったとは考えられないであろうか。墓を造ることは、自らを『記憶』として残す行為でもあったのだ」
 故人を記憶している人がひとりもいなくなったときに「死」が完成するものならば、墓とは「人が死なない」ための記憶装置であると言えます。つまり、墓とは「死の建築物」ではなく「不死の建築物」なのです。古代エジプトのさまざまな葬礼文化は「人が死なない」ためのテクノロジーの体系でした。
 拙著『唯葬論』(三五館)にも書いたように、わたしは葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。
 「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、たしかに埋葬という行為には人類の本質が隠されていると言えるでしょう。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。
 わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。その意味で、古代エジプトこそ人類史上最大の「唯葬論」社会であったと言えるのではないでしょうか。空前の多死社会を迎える現代日本人にとって、死者と生者が幸福なコミュニケーションを築いた古代エジプトから学ぶことは多いはずです。
 それでは、みなさん、そろそろお別れです。長い間、このコラムを愛読していただき、本当にありがとうございました。いつかまた、お会いしましょう!