第4回
佐久間庸和
「江戸しぐさを身につけよう!」

 

 江戸しぐさが注目を集めている。
 東京の地下鉄の各駅にポスターが貼りめぐらされ、小中学校の道徳教育にも取り入れられているそうだ。ついには、アメリカ文化の殿堂ともいえる東京ディズニーリゾートのサービス・マニュアルにまで採用された。今やホスピタリティにおけるグローバル・スタンダードとも呼べる江戸しぐさとは?
 それは、江戸の商人を中心とした町人たちの間で花開いた「思いやり」のかたちである。出会う人すべてを「仏の化身」と考えていた江戸の人々は、失礼のないしぐさを身につけていた。譲り合いの心を大切にし、自分は一歩引いて相手を立てる。威張りもしなければ、媚びることもしない。あくまでも対等な人間同士として、ごく自然に実践していた。
 しぐさとは、ふつうは「仕草」と書くが、江戸しぐさの場合は「思草」と書く。「思」は、思いやり。「草」は草花ではなく、「行為」「行動」を意味する。つまり、その人の思いやりがそのまま行ないになったものなのである。
 当社の会長は永く小笠原流礼法の普及に尽力しているが、その活動の中で江戸しぐさの存在を知り、たいへん興味を持った。小倉発の小笠原流は武家の礼法だが、江戸しぐさは商家の作法。武士と商人の違いはあれど、ともに「思いやりのかたち」としては同じだ。それ以来、当社の各施設では江戸しぐさが取り入れられ、この道の第一人者である越川禮子先生をお招きして、教えて頂いた。
 さて、具体的な例としては、どんなものがあるか。いくつか紹介しよう。まずは、江戸しぐさの代名詞ともなっている「傘かしげ」。これは、雨や雪の日に道ですれ違う時、お互いに傘を外に向けること。雫(しずく)がかからないようにとの配慮である。
 「こぶし腰浮かせ」も有名である。乗合舟で後から乗ってきた客のために、先客たちが、こぶし分、腰を浮かせて詰め合わせた。後の客は、そうした配慮に対して「かたじけない」「有り難うございます」と礼を述べてから座った。現代では、電車などの公共交通機関で求められるマナーである。若い者がシルバーシートに座って、お年寄りが乗ってくると寝たふりをするようでは、世も末だ。
 また、「うかつあやまり」というのもある。
 最近の北九州のJRの車内で、若者が中年の男性の足を踏んだとする。中年が「こら、痛かろうが!」と怒鳴れば、若者も「電車が揺れたんやから仕方なかろうが!」とやり返す。これでは必ず喧嘩になってしまう。
 足を踏まれた時、どうするか。踏んだ方が謝るのは当然だが、踏まれた方も「私も、うかつでした」と謝るのが江戸しぐさである。こうすれば、絶対に角が立たず、トラブルになりようがない。
 そして、私が一番好きなのが「いなかっぺい」という言葉。これは地方出身の人という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を聞いて急に態度を変える俗物的な人間をさす。井の中の蛙(井中っぺい)とされて、最も軽蔑された。江戸の町人たちは差別を嫌った。  越川先生によれば、江戸しぐさの根底には互助共生の精神があるという。「人にして気持ちいい」「してもらって気持ちいい」それが江戸しぐさである。
 その心は普遍的なもので、決して東京だけのものではない。すべての人が気持ちよく笑顔で暮らせるための江戸しぐさを、是非北九州の人々にも広めたいものだ。そこから、本当の「ハートフル北九州」は始まると思う。