第7回
一条真也
「世辞は社交辞令の第一歩」

 

 前回、江戸の人々の思いやりの作法である「江戸しぐさ」を紹介しました。「繁盛しぐさ」の別名を持つ江戸しぐさは、特に挨拶を重視しました。
 「こんにちは」は「今日はご機嫌いかが」の省略語として、江戸の商人たちが愛用した言葉でした。そして「こんにちは」の後に挨拶言葉が言えるかどうかが、人付き合いを大切にする商人たちにとって大事な問題だったのです。「こんにちは」と言って「今日はいいお天気ですね」と続けるのです。この「こんにちは」の後に加えるひと言が「世辞」です。現代のように、「へつらう」「おべんちゃらを言う」という意味ではなく、人間関係を円滑にする社交辞令の第一歩、いわば大人の言葉づかいのことです。子どもたちは寺子屋で世辞の心得を学び、身に付けたといいます。
 その反面、相手を見てへつらい、おべんちゃらを言うことは嫌がられました。「いなかっぺい」という言葉は、相手の肩書きや貧富を聞いて急に態度を変える俗物的な人間を指します。「井の中の蛙(=井中っぺい)」とされて、もっとも軽べつされました。
 「士農工商」という身分社会に生きていた商人たちは、せめて自分たちの世界の中では差別を生みたくないと考えたのかもしれません。