第25回
一条真也
『卒業』 重松清著(新潮文庫)

 

 3月は卒業式のシーズンですね。小学校、中学、高校...卒業式で思い出すのは、なつかしい同級生たちの顔。
 著者は昭和38年生まれで、わたしと同い年です。面識はありませんが同級生です。わたしの同級生には、他にも、リリー・フランキーとか京極夏彦とか酒見賢一などがいます。
 物書きの端くれとして仰ぎ見るばかりの輝けるメンバーの中で、わたしが一番愛読しているのが重松清です。
 彼の小説は本当に名作ばかりですが、今回は季節にぴったり合った『卒業』という作品集を紹介したいと思います。この本には、四編の中篇小説が収められていますが、いずれも「卒業」をテーマとしています。
 最初の「まゆみのマーチ」は、著者の最高傑作とされる『流星ワゴン』と対をなしています。父と息子の物語が『流星ワゴン』であり、母と息子・娘の物語が「まゆみのマーチ」というわけです。
 その他、「仰げば尊し」は老教師とその家族と生徒の物語、「卒業」は自殺者と残された家族と友人の物語、そして最後の「追伸」はガンで死にゆく人と遺族の物語です。
 それぞれの登場人物たちは、それぞれのやり方で深い悲しみを乗り越え、それぞれの「卒業」を経験することによって、新たな世界へと旅立ってゆくのです。
 わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
 そして結婚式も、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。
 そして、葬儀は人生の卒業式です。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、「死」が不幸でなくなるといいと思います。本書をはじめ、重松清の小説には「死」をテーマにしたものが多いのですが、必ず「希望」や「再生」と結びつけられていることには救われる気がします。