2012
09
株式会社サンレー

代表取締役社長

佐久間 庸和

「注目されるサンレーの会社行事

 儀式マネジメントの模範となろう!」

会社行事に明け暮れた8月


 7月に豪雨が続いたかと思うと、8月は本当に猛暑続きでした。その8月は儀式と行事続きの月でもありました。

 8月1日の本社総合朝礼をはじめ、9日の「長崎原爆の日」には本社朝礼で黙祷を行いました。絶対に、死者を忘れてはならないと思います。
 8月18日には、松柏園ホテルの顕斎殿で秋季例大祭を行いました。わたしは、祭主である佐久間会長に続き、参列者を代表して玉串奉奠しました。サンレーグループのみなさん、サンレーの会員様の健康・幸福、それから社業の発展を祈願しました。
 8月は盆休みを挟みながらも非常にハード・スケジュールで、特に20日から22日までは「全国葬祭責任者会議」「全国総務人事責任者・担当者会議」「全国冠婚責任者会議・全国アフロディーテ担当者研修会」と、三日連続で会議が続きました。会議の後には懇親会もありますので、少々飲みすぎてしまいました。
 わが社はさまざまな神事や会議、行事を行っていますが、全国的にもよく知られてきているようです。わたしのホームページやブログなどで、それぞれの行事について書いた記事を読まれた同業者の方々からもよく質問を受けます。


「かたち」には「ちから」がある

 冠婚葬祭サービスを提供するという儀式産業であるサンレーは、何よりも儀式というものを大切にしています。
 儀式には「かたち」が必要です。結婚式とは、不完全な男女の魂に「かたち」を与えて完全なひとつの魂として結びつけること。葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて、あの世への旅立ちをスムーズに行うこと。そして、愛する者を失い、不安に揺れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、動揺を押さえ悲しみを癒すこと。このように儀式のもつ力とは、「かたち」によって発揮されるのです。
 サンレーには、オリジナルの儀式もあります。「和のこえ」や「末広がりの五本締め」などですが、これらのオリジナル儀式も広く知られてきました。その影響力は、わたし自身が驚くほどです。これらの儀式は、そのままわが社の企業文化となっています。


ナレッジ・マネジメントとしての儀式

 経営学者ドラッカーは、「知識化」の重要性を訴えました。「知識」を共有するマネジメントとして「ナレッジ・マネジメント」という言葉がありますが、わたしは会社儀礼というものがまさに相当するのではないかと思っています。
 会社儀礼のような集団儀礼においては「かたち」を繰り返すことが重要になります。何年も何年も同じやり方で儀式を繰り返すことは、若い人々に自分が今聞いていることは何年も前に年長者たちが聞いたことだという確信を与え、老人たちには、未来の人々が自分の知っていることを知ることになるという確信を与えるのです。
 これによって、集団の精神的な縦軸がまるで背骨のようにシャキッと立ちます。儀式の順序の確実さは、反応を強要することによってではなく、共通知識の生成を助けることによって権威を生み出すのです。


ずっと繰り返されるもの

 わが社の新年進発式や創立記念式典のスタイルは、もう40年以上続いているものです。そこで述べられる言葉は「気業宣言」や「S2M宣言」など、時代によるアレンジはあっても、メッセージの内容はまったく変わりありません。わが社の経営理念は創業以来ずっと不変です。「人間尊重」という大ミッションも創業時から掲げていました。わたしが社長として発表したS2M宣言も従来のサンレー文化を現代風に表現したものに過ぎません。
 企業の経営理念、創業の精神、ミッションというものは、そう簡単に変えてはいけないのです。逆に言うなら、そういったものがコロコロ変わる企業など、存在理由が吹っ飛んでしまい、この世から消える運命にあります。
 さらに第一社歌「愛の輪」も、もうずっと歌い継がれてきています。そして、最後には「和のこえ」で手をつなぐ。何十年も繰り返されてきた「愛の輪」と「和のこえ」。この繰り返しこそが組織を一体化し組織力を高める儀式力なのです。そこで私たちはサンレーに綿々と流れてきた知識を共有するのです。


いない人を感じる

 また、ずっと続けている儀式や行事には、もう一つの重要な役割があります。「いつもそこにいたのに、今はいない」人を感じることです。7月21日に行われた「サンクスフェスタin小倉紫雲閣」の総合朝礼で、わたしは故・I部長を思い出しました。
 今年の5月22日未明に亡くなられ、翌23日に葬儀が行われたI部長は、わが社の営業推進本部の部長として長く第一線で活躍してくれました。
 毎年開催されるサンクスフェスタでは、いつも朝礼で大きな声を出し、営業員のみなさんを鼓舞し、また励ましていました。大ホールに立つと、そのI部長の生前の姿が目に浮かんできました。
 このように、「いつもこの場にいたあの人がもういない」と認識することは非常に大切なことです。それはけっして、故人に限りません。定年退職をされた方にしても同様です。わたしたちは、わたしたちだけの力で生きているのではありません。そこには必ず先人の目に見えない力が働いています。このことを自覚することこそ、同じ儀式や行事を継続していくことの意味の一つではないでしょうか。
 わたしたちは儀式の持つ重要性をよく理解して、ぜひ、価値ある儀式産業を盛り上げていきましょう。


 かたちにはちからがあるを口癖に
    つづく儀式に こころが宿る  庸軒