第9回
一条真也
「太陽と死は直視できない」ラ・ロシュフーコー

 

 言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、ラ・ロシュフーコーの言葉です。17世紀のフランスのモラリスト文学者で、正式な名前はラ・ロシュフーコー公爵フランソワ6世です。

 名門貴族の家に生まれた彼は、多くの戦いに参加した後、1959年頃から主著『考察あるいは教訓的格言・箴言』の執筆を始めたとされています。

 同書は単に『箴言集』と呼ばれますが、その背景には辛辣な人間観察があります。リシュリューと対立して受けた2年間の謹慎処分、あるいは「フロンドの乱」でマザランと対立したことなどで味わった苦難などが反映されているようです。

 『箴言集』に登場する「太陽と死は直視できない」ほど、わたしの想像力を刺激した言葉はありません。この言葉を最初に知ったときから、わたしは「死」というものについて考え続けました。

 たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。そう、太陽はサングラスをかければ見れます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。それを「愛」と呼びます。

 「愛」と「死」は、文学における二大テーマであると言ってもよいでしょう。偉大な文学作品は、必ず「愛」と「死」の両方を描いています。なぜか。「愛」はもちろん人間にとって最も価値のあるものです。ただ「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。

 そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。

 誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。

 人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きられるように思います。