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一条真也
「冠婚葬祭とは人生を肯定すること」

 

 わたしは、冠婚葬祭会社を経営しながら、大学の客員教授として孔子の思想などを教えている。 講義では、特に孔子が説いた「礼」について重点的に説明する。「礼」は儀式すなわち冠婚葬祭の中核をなす思想だが、平たく言うと「人間尊重」であろう。
 「礼」の心を形にしたものが「儀式」である。孔子は「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」ということを追求した人だが、その答えとして儀式の重視があった。
 人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるように思う。その意味で、儀式とは人間が幸福になるためのテクノロジーである。そう、カタチにはチカラがあるのだ。
 さらに、儀式の果たす主な役割について考えてみたい。それは、まず「時間を生み出すこと」にある。日本における儀式あるいは儀礼は、「人生儀礼」(冠婚葬)と「年中行事」(祭)の2種類に大別できるが、これらの儀式は「時間を生み出す」役割を持っていた。「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」や「時間を愛でる」にも通じる。
 日本には「春夏秋冬」の四季がある。わたしは、冠婚葬祭は「人生の四季」だと考えている。七五三や成人式、長寿祝いといった儀式は人生の季節であり、人生の駅である。
 セレモニーも、シーズンも、ステーションも、結局は切れ目のない流れに句読点を打つことにほかならない。 わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれない。それはそのまま、人生を肯定することにつながる。
 未知の超高齢社会を迎えた本人には「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」が求められる。それは、とりもなおさず「人生を修める覚悟」でもある。
 これから、冠婚葬祭や年中行事といった日本人のココロのカタチを取り上げながら、人生を豊かに生き、人生を美しく修めるヒントのようなものを書いていきたいと思う。