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一条真也
「辞世の歌・辞世の句のすすめ」
 わが最新刊『人生の修活ノート』(現代書林)がおかげさまで好評だ。単なるエンディングノートではなく、死生観を育んでいくような内容を心がけた。特に、「辞世の歌・辞世の句のすすめ」というページがよく読まれているようである。
 日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、「死」と「詩」を結びつけた。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表れであるように思える。
 そして、「死」と「志」も深く結びついていた。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知る。有名な坂本龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」こそは、死と志の関係を解き明かした言葉にほかならない。
 また、『葉隠』には「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」という句がある。これは、武士道とは死の道徳であるというような単純な意味ではない。武士としての理想の生をいかにして実現するかを追求した、生の哲学の箴言なのである。
 もともと日本人の精神世界において「死」と「詩」と「志」は不可分の関係にあったのだ。「辞世の歌」や「辞世の句」とは、それらが一体となって紡ぎ出される偉大な人生文学ではないだろうか。
 わたしが特に好きな「辞世の歌」は、「良寛に辞世あるかと人問はば 南無阿弥陀仏といふと答へよ」(良寛)、「あらたのし思ひは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」(大石良雄)、「頼み無き此世を後に旅衣 あの世の人にあふそ嬉しき」(清水次郎長夫人お蝶)の三首。
 また、好きな「辞世の句」は「旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る」(松尾芭蕉)、「もりもり盛り上がる 雲へあゆむ」(種田山頭火)、「春風や 次郎の夢の まだつづく」(新田次郎)。
 ぜひ、あなたも「辞世の歌」「辞世の句」を残してみませんか。きっと、死ぬのが怖くなくなりますよ。